日本語の、漢字が創り出す世界観は強烈で深遠だ。
それを最初に教えてくれたのが「対自核(たいじかく)」だった。
「対自核」という3つの漢字が並んだタイトルからは
何とも言えない禍々しさ、危うさ、異常性を感じた。
その異世界の感触ロックにハマるきっかけとなった。
Uriah Heep ユーライア・ヒープが
1971年にリリースしたサードアルバム。
僕が初めて聴いたのは中学生になってからだから、
その2~3年あとだ。
原題は「Look at Yourself」。
「自分を見つめ直せ」という意味だが、
これはロックにおける傑作邦題としても有名だ。
「対自核」なんて言葉はもちろん、日常会話では使わない。
本を読んでいてもこんな言葉には一度もお目にかからなかった。
つまり1971年からこれまでおよそ50年、
「対自核」とはユーライア・ヒープのこのアルバムと、
1曲目に収められている同名の曲の目に
しつらえられた言葉だったのである。
それにしても普通、「Look at Yourself」から
「対自核」なんて日本語は生まれてこない。
いったいこの邦題を付けた日本のレコード会社の人はどんな人だったのだろう?
どうやってこの造語ができたのだろう?
と疑問に思わずにはいられない。
バックグラウンドにはやはり時代の特性があると思う。
会社はレコードを売らなきゃいけない。
「ルック・アット・ユアセルフ? これじゃ売れんなー。
もっといいタイトルつけられないのか?」
「自分を見つめろ」じゃどうでしょう?
「アホ、そんな直訳じゃだめだ。商品のネーミングだぞ。
ちゃんとマーケティングやって考えろ!」
てなわけで担当者は市場調査をして知恵を絞り始めた。
ロックのレコードを買うお客は若者だ。
当時、1971年は学生運動が終わって間もない頃。
その影響をもろにかぶった50年前の若者の多くは、
思想や哲学にかぶれていた。
実際に読んでいるかどうか、理解しているかどうかは別にして、
思想家や哲学差の名前を口にしたり、
かばんやポケットに本を入れていればカッコがついた。
女の子にもモテた。
中でもブランド力が高かったのが、フランスの哲学者
ジャン・ポール・サルトルだ。
サルトルの実存主義は20世紀を代表する思想の大きな柱だった。
実はこの「対自核」の「対自」という語は
サルトルの著作「存在と無」で流行った
実存主義用語から採られたという。
レコード会社の担当者は
その対自に、心臓部――コアを表す「核」をつけた。
「対自核。どうでしょう?」
「よっしゃー、これで決まりや!」
その担当者が本当に実存哲学の理解者だったかどうかはとにかく、
サルトルに考えが至ったというところがすごい。
会社としてこの邦題に決めたということは、
やはりそれなりの説得力があり、手ごたえを感じたからだろう。
これが今の時代だったら、
いや、当時から10年後の1980年代だって
「対自核」なんて言葉が作られ、
アルバムの邦題として採用される余地はなかっただろう。
僕は当時のレコードの購買層だった若者、学生さんたちより
だいぶ下なので、彼らの心にこのタイトルが
どんな具合に刺さったのか、実際はわからない。
だが、1973年か74年にこのアルバムのジャケット、および、
それに掛けられた帯の上に書かれた「対自核」という
漢字3文字を見たときの衝撃で、中学生だった僕の人生は変った。
と今では思う。
ちなみにジャケットは、
直径30センチのアナログLPレコードを納める、
30センチ×30センチの厚紙でできていた。
帯のタイトル、ジャケットアートと相まって
音楽はリアルな存在感を持ってそこにあった。
その頃、僕はサルトルも実存主義も知らなかったが、
ロックという音楽の中には思想や哲学や文学や神話、
そして社会に、世界に、他分野の文化に通じている
扉があることを予感した。
タイトルナンバーと「7月の朝 July Morning」という
名曲2曲が入っているとはいえ、
このアルバムが「対自核」という邦題でなかったら、
たとえば原題そのままの「
ルック・アット・ユアセルフ」だったら、
そんなに売れなかったし、
ユーライア・ヒープが日本の音楽シーンに
大きな影響を与えることもなかったに違いない。
ザ・ピーナッツが「対自核」を、
西城秀樹が「7月の朝」を歌うこともなかっただろう。
そしてこてほどの名盤として50年後の今も語り継がれ、
伝説になることもなかったかもしれない。
日本語の、漢字の組み合わせが創り出す、
音楽の域を超えた圧倒的な世界観。
対自核にはじまり、神秘、原子心母、狂気、炎、危機、童夢、
四重人格、怪奇骨董音楽箱、太陽と戦慄、暗黒の世界・・・
これらの邦題マジックは日本におけるロック音楽を、
本家の英米とは少しばかりニュアンスの異なる、
独自の作品に育て上げたのではないかという気がする。
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