義母は認知症になり、記憶を失い、通常の社会性も失っています。
知性も半分失ってしまった、と言ってもいいでしょう。
それは人間の魂の純粋性を回復する過程なのかも知れない、
と思う時があります。
だけど残念ながら、
純真な子どもに戻れるわけではない。
今日は一緒に井の頭公園へ。
池で白鳥のボートに乗りました。
僕にとってもチビの頃の息子と乗って以来なので、
たぶん20年ぶりくらい、
足漕ぎボートなので、一緒に漕いでと言っても、
「わたしなんかできないわよ」と、やろうとしない。
それで僕が一人で漕いで運転していると、
ものの10分もしないうちに
「お兄さん(僕のこと)、疲れちゃうから戻りましょう。
もう十分よ」と言い出します。
ボートから降りて「何か飲みましょう」と言うと、
「いいわよ。お金ないし・・・」
この一連の言動に義母の人生が集約されているように
思えてなりません。
人間の生まれ持った魂は、
この世で生きる何十年かのうちに、
お金のことやら、家族のことやら、競争のことやら、
いろんな目に遭って損なわれてしまう。
特に義母のように昭和を丸ごと生きた女性の大半は
男尊女卑の考え方も植え付けられているようで、
僕に対しては随分へりくだった態度を取ります。
逆にそれでちょっとイラついたり、
悲しくなったりもします。
だけど今さらどうにもなりません。
どんなことで心を痛めつけられ、
そこまで謙虚、というか半ば自虐的
になってしまったのかわかりませんが、
そういうやり方で一生懸命生き抜いてきたのだから。
義母の魂の純粋性は、
昭和歌謡を歌ったり、
こうやって公園などを歩いて
子どもや犬を見ることで回復されるのかなと思います。
そういう意味で子どもの存在は偉大です。
ワンちゃんも。
僕ができるのは、
少しでも多くそうした機会をつくることだけです。
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