義母のカエルコール

 

「帰ります」

「どこへ?」

「わたしの家。お母さんのいるところ。

あにき(亡くなった義父)もいるし」

 

夕方、久しぶりに義母の「カエルコール」が飛び出した。

帰るっていったって一人じゃなんか分からない。

たぶん、いったん表に出たら

迷子になって二度とここに帰ってこられません。

 

夕焼けを見て帰りたくなったのでしょうか。

小さい子は「黄昏泣き」というのをしますが、

おそらくあれと同じ情動が働くのでしょう。

 

ここが今、あなたの家なんですよ。

そもそも帰るところなんて、他にどこにもないんですよ。

 

そう言いたくなるけど、

これは認知症の義母にとって、

ひどく残酷なセリフとして響くでしょう。

 

お父さんも、お母さんも、きょうだいも、

そして長年連れ添ってきた伴侶も、

もうこの世界をあとにして、

向こうの世界に行ってしまった。

ひとりぼっちで取り残されて、

帰るところなんか、どこにもない。

それって・・・。

 

あくまで僕たちが一緒に住んでいる今の家は、

母にとって仮の宿でしかありません。

いつかは自分の本当の家に帰るのだ。

心の片隅で絶えず「カエルコール」が

鳴っているのかもしれません。

 

そんなふうに考えると、人間って、

いったん世の中に出てしまった後は、

自分の帰るべきところをずっと探して旅している――

結局それが人生なんだろうか・・・

という思いに囚われます。

 

そういえば同じ認知症だった知人のお母さんが、

入っていた東京郊外の施設から脱走し、

どうやってたどり着いたのか、

家族も誰も知らない北陸の山に入って

凍死しているのが発見された

――という話を聞いたことがあります。

 

その人はどこを目指していたのだろう?

どこへたどり着きたかったのだろう?

すべてはミステリー――とのことでした。

 

今日、「カエルコール」が出たのは、

お天気いいのに僕が仕事をしていて

昼間、放っておいたせいかも知れません。

せめて30分くらいでも散歩に外へ連れ出せば、

黄昏時に切なくなってしまうこともなかったかもな・・・

ごめん。

と、ちょっと後悔・反省。

 

晩ごはんを食べるころには

カエルといったことも忘れて

ケロケロっとしていましたが。