中学生時代の「エリナ・リグビー」の衝撃と 47年後の和訳演奏

 

●「エリナ・リグビー」の詩

中1の時、国語の時間で自分の好きな詩を選んで書き、

それに自作のイラストを添えて発表するという課題があった。

国語の先生はクラス担任の北原先生と言って、

僕にとっていちばん良い記憶に残っている先生だが、

今考えるとイキな課題を出したものだ。

授業参観の日に教室の後ろに貼り出していた。

 

僕は確か、高村光太郎の「無口な船長」という詩を書いたのだが、

昨日紹介したビートルズオタクのイナガキくんが選んだのは、

レノン・マッカートニーの「エリナ・リグビー」の詩だった。

 

イナガキくんは、すべてにおいて“そこそこ”の少年で、

勉強もスポーツも、とびきりできるわけでもなく、

さりとて明るい性格や芸人気質で教室を賑わすわけでもなく、

リーダーシップを発揮して人望を集めるわけでもない、

要するに僕と似たり寄ったりの目だたない生徒だった。

 

ビートルズオタクだったけど、

僕自身、ビートルズというバンドは知っていたが、

ほとんど意識していなかった。

 

そもそもその頃(1972年)、「ビートルズはもう古い」と言って

隣のロック好きな先輩はバカにして、ハードロックを聴いていた。

 

ところがその彼が書いた詩を見て、僕は仰天した。

「ああ、あんなにさみしい人たちは何処へ行くのでしょう?」

大人になりかけた子ども心に、その詩のインパクトはものすごかった。

その時からイナガキくんをちょっと尊敬するようになった。

 

●衝撃の弦楽四重奏

それから間もなくして、ビートルズを馬鹿にしていた先輩が

「兄貴の友だちから貰ったけど、俺はビートルズなんで聴かんから」

と言って、ビートルズの「オールディーズ」というLPをくれた。

 

「リボルバー」までのシングル曲を集めた、

いわゆるベストアルバムで、

「シーラブズユー」も「抱きしめたい」も「涙の乗車券」も

入っていたのだが、その頃はあんまりピンと来す、

最高に響いたのが「エリナ・リグビー」だった。

 

それまで抱いていた「なんだか歌謡曲っぽいロック」という

ビートルズのイメージが、

あの美しくて切ない弦楽四重奏で木端微塵に吹っ飛んだ。

生まれて初めての異次元の音楽体験だった。

そして、あのイナガキくんの詩のインパクト。

初めて「ビートルズってすごいバンドだ」と認識した瞬間だった。

 

・・・というのがマイビートルズ・ベスト10の

第7位「エリナ・リグビー」のマイストーリー。

 

●ああ、この孤独な人々

最近、YouTubeで和訳のカバーを聴いて驚いた。

ギター2本とアコーディオンの素朴な編成で

あの美しいメロディを奏でる。

これは素晴らしい!

イナガキくんも聴いているだろうか?

 

初めて聞いた頃、僕の中でエリナはまだ10代の少女で、

マッケンジー神父も「イマジン」を歌っていた頃の

ジョン・レノンに似た青年だったが、

年月を経た今は、二人とも齢を取った姿で現れる。

なんとなく孤独死や、無力な宗教者を連想させる。

 

もう半世紀以上も前からビートルズは

現代人の孤独と不安を歌っていた。

信じられるもの、心を寄せられるものが

どんどん消え失せていく時代において、

ますます多くの人の心をつかみ、深化し、

アレンジされて口ずさまれるだろう。