義母はまだ結婚する前、20代前半の頃、
麻布にあったインドの駐日大使の私邸で
メイドとして働いていたそうだ。
この頃、彼女は一生懸命英語を勉強していて、
結構、会話もできていたとのこと。
そのせいか、ちょっと込み入った日本語よりも、
シンプルな英語の方がよくわかることもある。
いったい頭の中の時間軸がどうなっているのか
さっぱりわからない。
でも、どうやら人生でいちばん楽しい時期だったようで、
基本的には、この20代前半のイメージが
自分を自分たらしめていることは確かだ。
言い換えると、この頃の記憶が、
彼女のアイデンティティに繋がっている。
認知症も人によっていろんな症状があるし、
いろんな進行の段階があるので、
一概には言えない。
ただ、どうも人間、誰が家族だったかは忘れてしまっても、
自分がいちばん自分らしく生きていた時間の記憶は
最後まで残るようだ。
僕やあなたが認知症になったら、
いったいどの時間の、どういう記憶が残るのだろうか。
社会的制約をあまり受けず、
家族に煩わされることもなく、
いつも自由に、自分らしく生きていたら、
記憶が抜け落ちたりはしないのだろうか?
義母と付き合っていると、
生き方についてのヒントを
与えられているような気になる。
コメントをお書きください