●夢と希望にあふれていた1964の光と闇
Nスペ「東京ブラックホールⅡ」を観た。
10月13日(日)と16日(水)※15日深夜 の放送。
一昨年(2017年)8月放送の
「戦後ゼロ年 東京ブラックホール」は
タイトル通り、戦後直後の東京を描いていた。
それに対し、回はそれから約20年後。
人口1000万人の巨大都市に育ち、
高度経済成長の最中の
「日本が最も夢と希望にあふれていた年」と
持ち上げられることが多い1964年。
前回の東京オリンピックの年だ。
もういろんな人が言ってるけど、
「最も夢と希望にあふれていた」というのは、
半分真実、半分欺瞞。
結局、社会の内情は現代とさして変わらない。
変わったのは、現在は外国人労働者などに頼っている
底辺の労働力を、
55年前は地方の農村からの出稼ぎ労働者や集団就職の若者
(東京の場合は東北地方からが多い)が担っていたということ。
オリンピック開催を迎えて
好景気に沸く東京。
仕事はいくらでもあったようだ。
●過酷な労働環境
産業振興・経済発展が優先された時代なので、
労働時間の長さ・過酷さは現代の比ではない。
パワハラ、セクハラはもちろん、
カローシなんて言葉もない、
つまり概念として存在してないから、
実質的な過労死者も、当たり前のように続出していたようだ。
人権なんかも現実問題として、どれくらい認められていたか怪しい。
ここで働いていた若者たちというのは、
現在の70代以上の人たちだ。
僕が子どもの頃や若い頃、
周囲の大人はみんな口をそろえて、
「世の中きれいごとじゃねえ」と言っていた。
こんなドキュメンタリーを見ると、なるほどと頷かざるを得ない。
「よくぞかこんな世界の中で生き残り、生き延びてきましたね」
と、改めて頭が下がる思いがする。
番組内のナレーションでも語られている通り、
光が眩しい分、影も濃いのだ。
その舞台裏がいかにひどかったか、
国の体面のために、いかに多くの人たちが
悲惨な目にあったか。
オリンピック応援団のNHKが、
これだけ前回のオリンピックに対して
批判的な表現ができるというのも、
ちょっと面白いし、安心できる気がする。
●ドラマ+ドキュメンタリー×合成映像
この番組はドラマ仕掛けの基本的にドキュメンタリーだ。
山田孝之演じる主人公は、2019年に生きる若者。
売れないマンガ家で、アルバイトで食いつないでいるという設定。
その彼が過去にタイムスリップし、彼の視点で1964が描かれる。
俳優以外はすべて本物の映像が使われている。
「戦後ゼロ年」の時も驚いたが、
よくこれだけ貴重な記録映像を集めてきたものだ。
それを優れた技術で、俳優の演技部分を合成させており、
ほとんど違和感を感じさせない。
こういうところもさすがNHK、
さすがNスペと、素直に感心した。
ドラマの部分は、あくまでドキュメンタリーを見せるための
演出手段なので、かなり大ざっぱなつくりだが、
ラストシーンはとても良かった。
現代に戻った主人公は2020年になり、
自分の作品(マンガ)を発表。
それを抱えて都内のあるバーに行く。
バーは「KOYUKI」という店名だ。
主人公はそのオーナーと1964年に出会っていた。
秋田からやってきた、昼間は団子屋の娘、
夜はバーテンダーとして働く女の子。
彼女は自分の店を出すのが夢で、
彼は自分のマンガを出すのが夢で、
淡い恋愛もあった。
彼は自分のマンガをその夢をかなえた女に
プレゼントし、ドラマは締め括られる。
タイムスリップものにはよくある設定だが、
こうしたSF風抒情的なシーンには
滅法弱いので、つい涙ぐむ。
●今、はるかに生活環境はよくなったけど
「年老いた小雪さんは美しかった。
年老いた東京は・・・美しいだろうか?」
主人公のモノローグで物語は締めくくられる。
「年老いた東京」というのは新鮮な響きがあった。
55年前より、はるかに衛生的で、はるかに安全で、
はるかに豊かで、はるかに便利で、
はるかに命も人権も重んじられるようになった東京、日本。
本当はありがたく思うべきなのだろうが、
それがイコール幸福に繋がるかというと、
そうならないのが人間のやっかいなところ。
はるかに生活環境はよくなったものの、
年老いた東京、日本。
ちなみに1964年の平均年齢は29歳。
現在は45歳。
16歳も若かった55年前。
「2020東京」は「1964東京」ほどの熱狂は起こさないだろう。
また、起こす必要もないと思う。
ビッグイベントに頼っても、年老いた東京は若返らない。
人の心を根っこから揺り動かすことはできない。
そんな時代はもう終わっている。
東京を、日本を若返られせるのは、ひとりひとりが抱く
新しい夢の形だ。
でも、それがなかなか見えてこないので、
みんな、じんわりと息苦しい。
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