●地球環境を犠牲にしてもいいのか
グリーンピースやシーシェパードのような
エコテロリズムのイメージが強いせいで、
正直、環境保護団体とか、
熱烈に環境保護を訴える人物には
あまり良いイメージを持っていない。
先日、国連の「気候行動サミット」で、
各国首脳に温暖化対策への緊急行動を訴えた
グレタ・トゥンベリさんに対しても、
かなり斜め見していた。
環境保護を訴える人。団体の言うことは
だいたい同じだ。
「経済発展のために地球環境を犠牲にしてもいいのか。
他の生きものの住処・生きる権利を奪っていいのか」
それに対して、僕は、そして、おそらく多くの人は
「人間の幸福の追求のためには、ある程度しかたないじゃん」と
心の中で反論する。
さらに、グレタさんのような先進国(彼女はスウェーデン人)の
若者に対しては、
「きみらも豊かな国の、豊かな生活の
ありがたい恩恵を受けて育ってきたんでしょ」と。
「理想論やきれいごとは誰にでも言える」と。
しかし同時に、それは心のどこかにある罪悪感の表れ
かも知れない、とも思う。
すべて温暖化のせいにはできないかもしれない。
けれども、何かじわじわと、世代を超えた時間をかけて、
地球からの制裁を受けているような気になる。
●台風19号の衝撃
ずいぶん前から極地で氷山が溶けたり、
環境の変化で獲物を獲れbなくなったシロクマが
餓死していく映像を見たりしていたが、
「こういう現実も地球のどこかであるんだな」と、
あくまでそれは他人事だった。
だから、見ないふりをしていた。
今回の台風19号では幸い、
僕の住んでいる地域では大した被害がなかったので、
やっぱり他人事には違いない。
それで被害にあった人には申し訳ないなという気持ちを
若干だけど抱きながら、考えてみる。
環境破壊・地球温暖化の因果関係を
はっきり証明できる専門知識を、僕は持ってない。
けれどもやっぱり、あるんだろうと感じざるを得ない。
19号だけでなく、今年頻発した台風も、夏の猛暑も。
また、日本だけでなく、世界各地で起きている、
命を脅かすほどの異常気象も。
すべて温暖化のせいにはできないかもしれない。
けれども、何かじわじわと、世代を超えた時間をかけて、
地球からの制裁を受けているような気になる。
日本人にとってこの19号は、
首都圏の交通がストップし、
ほとんどの会社や店も休むという、
従来のゆるい対応とは違う変化が見られた。
もしかしら、これをきっかけに
環境・温暖化対策の新しい対応が起こるのかもしれない。、
●繁栄のケツを拭う時代?
とはいえ、せっかく手に入れた
(と言っても自分が日本の経済発展に貢献したわけではないが)
豊かな生活・便利な生活を
手放す気にはなれない。
今まさに経済発展中の国、
これから蔦かな生活を築こうとしている国の人たちは
なおさらだ。
彼らの多くは「地球環境よりも人間の幸福だ」
と考えるだろう。
そして、
「すでに豊かになった国の連中が、
それを阻害する権利はない」とも。
こうなるともう何も言えない。
どうすればいいのか?
どうすれば20世紀の繁栄のケツを拭えるのか?
僕らの100年ライフの後半に与えられた
課題なんだろうかと思う。
僕ら生きている間に、解決の糸口はつかめるのだろうか?
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