●それなりの幸福
今の日本という国では、あなたも僕も含め、
だいたいの人が、
それなりに幸福に暮らせるようになっている。
「それなりの幸福」とは何か?
命が危険にさらされることが少なく、
自分は80、90まで生きられるだろう、と
漠然と予測できるからだ。
もちろん異論はあるだろうし、
色んな問題は山積みだけど、
少なくとも上記の意味で、
こんな社会は人類史上初めてだと思う。
過去と照らし合わせて、歴史的にもそうだし、
世界の他の国と比較しても間違っていないだろう。
●真っ白な灰になっちまったよ
もちろん、安全や長生きに大した価値を感じない人もいる。
「いや、俺は太く、短く生きるんや!」と、
かなり無茶なことをやる人もいる。
僕の若い頃はそういう人が結構大勢いたような気がする。
芸術家や文学者らの間では、
のうのうと、平々凡々と長生きするより、
酒や博奕や女に溺れて、破天荒な生き方をして、
短時間で命を燃やし尽くすような人生を送るのが
美徳だったと思う。
まだ20歳前だった矢吹丈(あしたのジョー)の遺言は、
「真っ白な灰になっちまったよ」
僕もそういうのに憧れたことがあったが、
そんな度胸はからきしなかったので、やめた。
いいか悪いかはさておき、
平成の30年の間に、そうした破天荒な人はずいぶん減った。
戦争もなく、医療が発達し、社会がシステム化されて安定した。
子どもや若者の死亡率が高かった時は、
「人間、いつ死ぬかわからない」という気持ちが、
大多数の人々の心の中にあったので、
破天荒な生き方はカッコよく映った。
今だって人間、いつ死ぬかわからないのだが、
みんな、そうは思ってない。
というわけで、破天荒な生き方、
短時間で命を燃やし尽くす人生の価値は下がった。
それに伴い、ひとりひとりの人生はスケジュール化された。
●新しいタスクがスケジュールに組み込まれた
生まれてから入学、受験、卒業、就職、結婚、出産、
子どもの成長、そしてまた入学、受験、卒業・・・・・と、
定型的な人生のスケジュールを
僕たちはこなして生きてゆく。
現実にそうなるかどうかはともかく、
少なくとも周囲からはそう求められるし、
自分の頭の中にもそのスケジュールのイメージが
一つのフォーマットとして設定されている。
さらに今、以前の時代、それまで僕たちが親しんできた世界と
大きく変わったのは、
子どもが成人・独立して以後、死ぬまでの時間がかなり伸びたことだ。
その死ぬまでの時間は、ここ数年で、
新たなタスクとして、人生のスケジュールに組み込まれた。
夏休みの宿題は一通りやり終えた。
あとは自由研究という課題が残っている、という感じ。
もちろん、この自由研究も
生活をしながらなので、
ごく一部を除き、僕を含め大多数の人は
まだまだお金を稼ぐ仕事をする必要がある。
それに事情は人それぞれだから、
家族の介護などをやらなくてはいけない人もいる。
そうした中で、
何でも好きにやっていいという自由研究に取り組むのは、
思いのほか難問だ。
●自由研究の時間こそ人生の本番
今までのことは準備運動とか、リハーサルの類。
この自由研究の時間こそ本番であり、
人生の本質が秘められているといっても過言ではない。
そういう時代になった。
みんなが長生きできる社会。
幸福だけど、生き辛いパラドックスのような人生。
とりあえずパパッと紙に手書きで一本線を引いて、
左端に「生まれる」、右端に「死ぬ」と書く。
「死ぬ」がいやなら、終でも完でも了でもいい。
ENDでもFINEでもいい。
天皇陛下のご年齢を考えると、
令和は20年から30年。
自由研究の時間に入った方は、
この令和でどんな課題をやるのか、が問われる。
べつにサボりたきゃサボって
未提出ということでもいいんだけどね。
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