昭和歌謡にはストーカーするする男と、
DVしてして女が登場する。
前者の代表は坂本九の「明日があるさ」、
後者の代表は奥村チヨの「恋の奴隷」か。
高井戸図書館にはCDも置いてあるので、
歌好きな義母のために2枚ほど借りてきた。
耳が悪いので、そのまま聴こうとすると、
近所迷惑な大音量にしなくてはいけないので、
ヘッドホンで聴いてもらう。
全30曲、義母はノリノリで声を出して歌いまくる。
同じ家にいる僕としては、ちとうるさいなと思うが、
これくらいなら近所迷惑にならないからいいかとガマン。
認知症なのだが、若い頃に聴いた歌は
脳のどこかにこびりついていて、
心地よい世界にトリップできるようだ。
それにしても、義母が歌うと歌詞が気になる。
「明日があるさ」も「恋の奴隷」も大ヒット曲だが、
現代なら発禁になりそうな内容だ。
しかし、明るいメロディーと
歌い手の九ちゃんのキャラクターも相まって、
「明日があるさ」の主人公のストーカーまがいの行為は、
愛すべき純情男の、片思いの表現とされていた。
そして、子犬のように膝に絡みついたり、
「悪い時はどうぞぶって」と言う「恋の奴隷」の女は、
男にとってはたまらなく可愛い純心女だった。
もちろん当時は、ストーカーや
ドメスティックバイオレンスなんて言葉自体、
存在してなかったし、
流行歌や作詞家が悪いわけでもない。
けど、子どもの虐待が頻発し、
その原因の一つに、男の女に対するDV、
支配構造があると聞くと、
やっぱり気分が落ち着かなくなる。
僕も子どもや若い時分には、人生の先輩たちに
「女ってのはちょっとくらい殴って、言うこと聞かせなきゃだめだ」
なんてことをよく言われた。
半ば冗談であったり、子ども・若造の前で
男気を見せようという意識がはたらいて、
そんなセリフになったんだろう。
ただ、やっぱり昭和はまだ男が威張れた時代、
言い換えれば甘やかさていれた時代だったんだなと思う。
人間は感情で動く生き物だ。
理屈は感情で行動した後の言い訳・後付けに過ぎない。
歌は感情に深く訴えかけるからこそ、
認知症になった義母も憶えている。
男尊女卑(とあえて言う)の時代の空気を取り込んだ
昭和歌謡に親しんできた世代の人たちが、
セクハラやパワハラという概念に理解を示し、
現代の考え方に順応していくのは、
それだけですごいことなんじゃないかな。
けど、その遺伝子を引き継いでしまった若い人たちが、
まだまだ大勢いるようだ。
余談だが、「恋の奴隷」を歌った奥村チヨさんは
昨年、71歳で引退したそうだ。
「恋の奴隷」(改めて見るとすごいタイトル!)が
リリースされたのは1969(昭和43)年。
彼女は22歳だったが、あの歌詞には抵抗があった、
とコメントしていた。
けど、「わたしを奴隷にして」と歌うことで、
当時の男の心を虜にしたんだよね~。
コメントをお書きください