エンディング産業展2019終了。
今日は宗教学者・島田裕巳氏のセミナーが面白かった。
タイトルは「葬式・戒名・墓――どこまで省けるのか?」
「お葬式はいらない」などの著書で有名な島田氏が、
なんで葬儀やお墓の業者や僧侶が集うエンディング産業展に招かれたのか?
かなり挑発的なタイトルだが、
「私があれこれ言わなくても、
一般の人はもう気が付いて“省いてます”」。
詳しい内容は月刊仏事の記事にするので、ここでは書けないが、
要は、高齢化社会への移行で、人々の死生観が変わったということ。
ついこの間まで、人生が40年から50年程度だった時代。
人間ははいつ死ぬかわからない、という前提で生きていた。
寿命は伸びていたが、10年ほど前までは、
みんな、その社会通念のもとに生きていた。
しかし、人生が80年、90年、100年以上続く時代になった今はちがう。
僕たちはそれだけ長く生きることを前提に人生を考える。
そして社会もその考え方に合わせて動く。
もう設定自体が変わってしまったのだから、年金が破綻するのも当然だ。
もちろん「いつ死ぬかわからない」ということは本質であり、
変らないはずだ。
今だって、僕たちはいつ死ぬかわからない。
しかし、人生の概念はすでに100年ライフに変わっている。
50歳や60歳、あるいそれより若く死ぬのは、
あくまでイレギュラーなケースだ。
そんな社会になると何が起こるかと言えば、
人々の心を救済していた宗教が衰退し、機能しなくなる。
また、みんな、人生をスケジューリングする。
まだ幼いことから将来を見据えて勉強し、進学に就職に、
スケジュールを組み立てて、一つ一つこなしていこうとする。
そのスケジュールの最後には、もちろん死が用意されている。
スケジュールをこなすための人生。
これから死のポイントは変わるという。
多くの人にとって、肉体的な死の前に、社会的なエンディングがある。
たとえば施設などに移らなくてはならなくなった時、
人はこの世界と切り離され、
実質的にはもうそこで人生は終わってしまうのはないか。
なのに、そこに葬式・戒名・墓は、本当に必要とされるのか・・・。
島田氏の言葉は、聴講に集まった人たち
――まだ前の時代の死生観で仕事に励む
エンディング業界人の胸に波紋を起こす。
その波紋はこれからじわじわと広く、社会に広がっていくのはないか。
そんな感想を抱いた。
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