長年住み慣れた家とも今日でお別れ。
今朝はひどく感傷的な思いが込み上げてきて目が覚めた。
ここ数日、急な対応を要する仕事も入らず、
引っ越し作業に集中できた。
ここにいたのは12年だが、考えてみたら、
12年前の引っ越しの時は、あまりモノを捨てていなかった。
息子がまだ小学生だったので、チビの頃の思い出の品などが
まだ親バカ的に愛おしくて捨てられなかったのである。
自分の仕事の資料や趣味の用品もたんまりため込んでいた。
すでに現在の生活に必要なくなったものでも、
むかし愛した愛着が残っていて、
自分の心が宿っているような気がしていた。
つまり、この家にはそれ以前も含め、
結婚から子育てしてきたヒストリーが詰まっていたんだなと思った。
しかし、今回はダウンサイジングするのでそんなことは言ってられない。
心の中で手を合わせながら、
昔の手紙も写真も本もどんどん捨ててしまった。
それでも、(何日か前にも書いたが)、
ずいぶん捨てたつもりなのに、段ボールはいっぱいだ。
作業をしていると、
家をゴミ屋敷にしてしまう人の気持ちが分かるような気がしてきた。
たぶん、かの住人はモノに囲まれてないと寂しくてしかたないのだろう。
モノには魂が宿っている。
モノの豊かさ=生活の豊かさである。
僕たちはそうしたメンタリティで生きてきて、なかなか変えられない。
そのあたり、息子のような若い連中はそうしたこだわりはないようだ。
本でもDVDでも、どんなものかわかった、もう十分楽しんだと思うと、
ホイホイ惜しげもなく捨ててしまう。
本も音楽も映像も思い出も、なんでもデジタル化でき、
デバイス一つで楽しめてしまう。
クラウドに上げて保存すれば、容量は無限である。
衣食住という生活の基本部分はさておいて、
仕事や勉強や娯楽の方面は、物理的なものは必要なくなってきている。
今後はすべて自分の頭の中・体の中で管理せよ・処理せよ。
そう言われているかのようだ。
引っ越しによって実感させられた、
石油製品に依存する大量生産・大量消費の時代の終焉。
僕たちはメンタリティを変える必要に迫られている。
地球の意志が働いているのかも知れない。
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