義父は胃がんを手術で、前立腺がんを放射線治療で完治させ、
克服してきた強い人だった。
そして関白亭主で、奥さん――義母をアゴで使っていた。
家のことは一切やらず、お茶も自分では淹れない。
けれども5~6年ほど前から義母が認知症になってから、
その生活ぶりが変わっていった。
義母は2年ほど前からお茶を淹れる以外、
家のことが出来なくなってきた。
もう自分でやるしかない。
「家族に迷惑をかけたくない」と言うのは、
最近の高齢者全般の口癖だが、
義父の場合はその最たるものだった。
迷惑というか、絶対に人に弱みを見せない
というのが信条だった。
たとえ相手が家族でもだ。
カミさんも義妹も電話で義父の話を聞くばかりだったので、
2人とも結構元気なものと思っていたらしい。
そしてとにかく器用なので、やる気になれば何でもできた。
掃除も洗濯も裁縫もやっていた。
ただ、さすがに料理だけは、にわか仕込みではダメで、
レンジでチン食が主食だったようだ。
それに加え、義母を病院につれて行ったり、
薬の管理をしたり、迷子にならないようにしたり。
まめまめしく世話をしていたらしい。
認知症介護士の資格も取ろうとしていたようだ。
弱音を吐かないことは立派だが、
本当にそれでよかったのかという思いが残る。
強い男の生き方ももう限界に近づいていたのかもしれない。
それでも娘たちのところへはSOSは出さなかった。
その矢先の突然の死だった。
部屋の中にある様々なメモや生活の痕跡を見ながら、
怖くて厳しく君臨していた昭和の関白亭主が、
最期にはまるで恩返しか、贖罪をするかのように、
少女のようになってしまった女房を
甲斐甲斐しく面倒を見ている姿が脳裏に浮かんだ。
ヘンな言い方だが、終わってみれば、二人の夫婦関係が
最終的にはチャラになったような印象がある。
なんだか人生うまくできているものだなと思う。
それなりの長さを生きれば、
ずっとラッキー、ハッピーもなく、
アンラッキー、アンハッピーもなく、
最期には何でもチャラになるのではないかという気がする。
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