年寄りのつぶやきとして「変わってしまった・・・」というのがある。
世の中変わってしまった。
人の心が変わってしまった。
みんな変わってしまった。
今年90になったうちの母親も、僕が実家に帰ると口癖のようにそう言う。
だいたいこの「変わってしまった・・・」というつぶやきの中には、
「もう私の居場所はない」という心の声が含まれている。
僕は母親に「だいじょうぶだよ」と声をかける。
そう言ってから「何が“だいじょうぶ”なのだろう?」と考える。
そして、ちょっと恥ずかしいが、
「お母さんがこの家にいるだけでありがたいんだよ」と言う。
「そうかい」と、母は一応、わかったように言うが、
心底納得しているとは言い難い。
そこでこちゃごちゃ説明しても仕方ないので、そのままにしているが、
ほんとうに何が“だいじょうぶ”なのだろう?
たぶん、そのまま生きていてもだいじょうぶだし、
死んでもだいじょうぶだ、ということなのだ。
もういあんまりやりたいこともないようだし、
欲しいものもないと言う。
母に「がんばって生きろ」とはもう言えない。
幸い健康で、食欲は旺盛なので、食事制限など受けることなく、
自分の好きなものを食って暮らしてほしいと願うだけだ。
「人間、どんな時もがんばって生きなきゃいけない」は正論だと思う。
けど、なんだか暑苦しし、息苦しい。
無責任に言われると、時にムカつくことさえある。
おまえに何がわかるんだ、と言いたくなる。
書いてきたのは年寄りの話だが、年寄りに限らず、
最近は世の中の変化についていくので
いっぱいいっぱいの人が大勢いるのではないか。
優秀さを求められ、効率を求められ、
AI・ロボットが普及したら、お払い箱になると脅されて、
余裕を失っているのに
「人間、どんな時もがんばって生きなきゃいけない」
なんて正義の味方から正義の言葉を聞かされても、
「うるせー!」とブチ切れるのがオチだ。
こういうときはやっぱり神様・仏様だな。
ポール・マッカートニーのような天才さえ、
ビートルズの終焉を悟った時は、
これが終わったらオレはどうなるんだろう?
レノン=マッカートニーを解消してやっていけるのか?
この先、音楽で生きていけるのだろうか?
と心配していたのだと思う。
「LET IT BE」はそこから生まれた。
神様・仏様に
「なすがままになさい。あなたはそのままでいい。
生きていても、死んでもだいじょうぶだ」
そう言われるだけで人間は元気を取り戻せる。
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