日曜日のことだが、月刊仏事の仕事で、代々幡斎場へ行った。
場所は京王線・幡ヶ谷と、小田急線(+東京メトロ千代田線)の中間点にある渋谷区西原というところ。
結構な豪邸が並ぶ高級住宅街のど真ん中に、火葬場併設の葬儀場が、どーん!と立つ。そのギャップがすごい。
どうしてこんな一等地に火葬を行う斎場が・・と思ってしまうが、これは話が逆。
ここでは江戸時代からいくつかの寺院が合同して火屋(火葬場)を運営していた。
明治になって 東京市区改正条例(都市計画法の前身)が施行され、1889(明治22)年5月20日より都市計画施設として稼働。
1921(大正10)年から東京博善株式会社(現・廣済堂グループ)が所有することになり、以後、1世紀にわたって運営を担い続けている。
名称は、所在地がかつて「豊多摩郡代々幡町」という名の町だったことに由来する。
戦後、これを囲むように住宅が次々と建てられ、やがて都内でも指折りの高級住宅街として発展していった。
約四半世紀前まで外観は大型の寺院風で、瓦葺きの屋根に煙突が立っているが特徴的だったが、1996年(平成8年)11月に全面改築され、明るく近代的な快適性と、人生最終の大礼に相応しい荘厳さを兼ね備えるとともに、環境問題にも配慮した無煙無臭火葬システムも導入。3階建ての総合斎場に生まれ変わった。
この日は3月最後の日曜で友引。
ということで、初めての地域感謝イベントが開かれ、花見や落語が行われていた。
館内には明るい笑い声が響き、とても火葬場だとは思えない。
渋谷区も後援につき、町会も開催に協力したようだ。
高齢化社会が進み、こうした施設も、人間の自然な営みとして、敬遠せずに街が受け入れる――令和は、そうした時代になりそうだ。
コメントをお書きください