安倍首相が口にしたのが大きかったのか「人生100年時代」はあっという間にポピュラーになった。
テレビなどではやたらきれいな70歳が笑い、やたら元気な80歳が走り、やたら楽しげな90歳もあふれるようになって、人生100年啓蒙キャンペーンのような様相を呈している。
だけどみんな、ついこの間まで100年の人生なんて考えていなかった。
何となく大学出て就職して40年ほど働いて、退職した後は10年くらいぼーっと過ごして人生終わるんだろうなと漠然と思っていた。
そして社会全体がそうした人生のモデルケースを想定して作られ動いていた。
その常識が、ほんのこの数年で見事に覆された。
これからは会社がどうの、社会がこうのという前に、自分で主体的に生きて人生を構築しなくてはならない。
かつての「人生50年」は」まだ正午。
50歳になってやっと午後が始まると言うのだ。
これまでにもそういう話はいろいろなところでいっぱい聞かされてきたが、
「いやいや、主体的に生きろったって、私らサラリーマンで会社から給料もらって生活してるんで、運よくそういうチャンスがあったらやってみますよ」
と言って逃げられた。
けれどもこれからはそうはいかない。
チャンスはそのへんにころがってなんかいない。
自分で決断して作るものだ。
会社を退職した後は、主体的に生きるというのは必須条件である。
どうしたものか――と思案している人にとって、これは一種の福音書からも知れない。
この本に出てくる22人のうちのひとり、海外貿易で起業した三浦陽一さんは、息子が小学生の頃、一緒にボランティアをやっていた仲でよく知っている。
知っているけど、こんなすごい人だとは知らなんだ!
僕が和泉親児の会で出会ったころはちょうど起業した頃だったらしい。
どうすごいのか知りたい人はぜひ読んでみてください。
と、ここで締めようと思ったんだけど、じつは半月くらい前に読み終わっていて、どう感想を書いたらいいのかとという思いあぐねていた。
なんでかというと、たぶん、僕はこの本の人たちのようにサラリーマン生活を経験してないので、会社勤めの人生前半から主体的に生きる人生後半にシフトする、という感覚が、いま一つ実感として分からないのだ。
それに帯の「一切、きれいごと抜き」のコピーは余りに大げさで中身と合ってない。
僕から見ると、やっぱきれいごとだろ、と思える。
ライターの立場からすれば、取材した人を悪く書くわけにはいかないので、一見短所もじつは長所だったんですよと、塩梅を考えて文章を綴るのは当然だ。
戦後、日本が一丸となって構築してきたサラリーマン社会はこれから解体の一途を辿る。
僕自身は最初からフリーランスだが、企業相手に仕事をしている以上、まるっきり他人事ではない。
ここに登場する人たちほど劇的ではないが、確かに50を過ぎて親が死んだり、友人が死んだり、体力の衰えを感じたりがあって、シフトしてきている。
一つ言えるのは、50歳を過ぎると人生を俯瞰して見られるようになるということ。若い時にはこれができなかった。
三浦さん以下、この本の人たちも人生を俯瞰して見られるようになったからこそ、それぞれの起業ができたのではないかと思う。
シニアはもちろんだが、リンダ・グラットンの「ライフシフト」と併せて若い衆にも読んでほしいと思う。
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