うれしくてうれしくて、シッポがあったら振りたいくらい。
前、アメリカのノンフィクションでこんな文章があって、気に入っていたことを思い出した。
これは夫が出張か何かで数日間留守にするのを妻が喜んで発したセリフ。
前後の文脈は忘れてしまったので、この後、これ幸いとばかりに盛大な女子会を開いて大盛り上がりしたのか、それとも密かに男を家に連れ込んだのかは定かでない。
なんでこんな文章を思い出したかというと、今夜はカミさんがお泊り〈小児はりの研究会の合宿〉でいない。一人だ。
そこはかとない解放感。
べつに普段、一緒に暮らしていてストレスとかプレッシャーを感じているわけではないのだが、ちょっとだけ家の中の空気をいつもより多く吸える気になる。
そして、さて何をしようかとわくわくする。
イヌみたいに喜んでシッポは振らないけど、期待でリスのしっぽみたいに膨らむかも知れない。
しかし、何に期待しているのか?
子どもの頃は親が留守でホームアローンぬいなれば、友達を呼んで大騒ぎしてたし、友達と部屋をシェアしていた頃は、そいつが留守だとここぞとばかりに当時のガールフレンドを呼んでいちゃついていた。
ホントに面白かったし、楽しかった。
ところが一人暮らしをするようになって、いつでも自由に、当たり前にそういうことができる環境を得ると、そうした「今日はホームアローン」の喜びはなくなってしまった。
やっぱりメリハリの問題なのだ。
でまぁ、結婚してまた一人暮らしじゃなくなったのだが・・・たまに一人になっても、やるのはせいぜいテレビ見たり、ネット観たり、本読んだりしてゴロゴロ。
これじゃ普段やってる生活と変わりない。
そう思ってたら、夜中にピンポンとインターホンが鳴るので出てみたら「ずっとあなたのこと、お慕いしてました」とか言って女性が訪ねてきた。
もしそんなことがあるのなら若い女がいいいと、まず考えるのだけど、近所のガールズバーにいるようなキャンキャンした小娘に来られてもうるせえなと思い直して、やっぱり壇蜜みたいな女が赤ワインとチーズを持って現れて「ご一緒に」なんて言われるのがいいなと思ったり。
そんな想像を巡らせたりはするけど、実際にそんなことが起こったらめんどくさくて「ありがとう。でも結構です」って帰しちゃいそうだ。
想像するのは楽しいけど、それだけで十分。
というわけで、テレビとネットと本にもどる。
こういうのって、何だかつまらない人生だと思ってた若い時代もあったけど、最近はどうも自分は劇的な刺激を求めて、ダイナミックに生きる人間ではないなと悟ってしまった。
ま、それなりに充実した暮らしがあるし、平和が何より。
普段と同じことをして今晩は一人で床に着こうと思います。
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