もう前世の記憶に近いが、そのむかし「劇団ねこ」というのをやってた。
なんでそんな名前を付けたのかというと、管理社会を自由にすりぬけ、何者にも縛られず、ネコのように柔軟に生きながら、可愛がってくれる人がいれば調子よくニャオンとすり寄り、ごはんとねどこをせしめたい。
そんなメッセージを、演劇を通して発信しようとしたからだ。
というのは今しがた考え付いた、まったくのこじつけだけど、潜在的にはそんな気持ちがあったのだと思う。
劇団ねこは30年以上も前に消滅してしまい、座長と演出をやってた男も10年前に死んでしまった。
けれども最近のネコのモテモテぶりに触れると、現在を生きる人たちの心の奥底には、冒頭に書いたような、ネコのように生きたいという思いが、ずっとくすぶり続けているのでないかと推測する。
そして、それは30年前よりますます強くなっているのではないかと感じる。
こんなことを言っては申し訳ないけど、受験生とか、就活している若者らとか、その親とかの顔を見ると、何に縛られているのかさえ分からなくなってしまって、もう闇雲にネコ的なものを求めたくなっているように思える。
だから、絵本も写真集もテレビ番組も、ネコを使えばみんなが観てくれるし、ファッションもグッズもネコのふりかけをかければ魔法のように美味しくなる。
こんなにも身近にいながら野性を感じさせてくれ、しかも基本的に安全。人間に甘えてくれるけど、かといって媚びてるわけではない。
もはやネコは人間にとっての夢の存在であり、希望の星と言っても過言ではない。
この先、テクノロジーが進むとともに、人間のネコ依存症はますます深まっていくのではないだろうか。
すると何が起こるか?
そうだ、AIを搭載したネコを作ろう――という発想が生まれる。
というわけで、ネコ型ロボット・ドラえもんの誕生だ。
そうなると逆転現象が起こって、僕たちはのび太くんのようにネコのドラえもんに甘えるようになるだろう。
そして、ドラえもんにいろんな夢をもらうようになる。
ネコのふりかけは未来まで果しなく効能を発揮する。
そうか「劇団ねこ」の演劇は、ドラえもんに繋がっていたのかと、前世の記憶が新たな発見を伴ってよみがえった今宵。
いずれ、ネコとロボットをテーマにしたお話を書いてみたい。
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