何の脈絡もなしに、あるセリフだけが、葉っぱが一枚、ひらひらと風に乗って頭の中の郵便受けに届けられるときがある。
「どうして僕はロボットじゃないんだろう?」
というものその一つ。
その一つのセリフから、それを発した人物、そこに関連しているストーリー、その背後にある世界観を探っていく――ということを時々やる。
こういうセリフを言う以上、人物はもちろん人間だ。
まだ若い。子どもかもしれない。
自分は人間なのに、人間であることに一種の罪悪感を抱いている。
まるでロボットなり機械であったほうがよかったのに、と言わんばかりだ。
その時代の人間は、ロボットほど生産能力・情報解析能力が高くないことを嘆いているのかも知れない。
いまや産業界の労働力のメインはAIであり、ロボットだ。
あるいは地球環境の観点から言っても、環境を破壊したりしない、地球の味方であるロボットの方が好ましい。
人間はその点でもロボットにかなわない。
セリフを少し変えてみる。
「どうして君はロボットでなく、人間なんだろう?(自分でよく考えなさい)」
脳の奥深くか、地球の奥底か、宇宙の果てか、から聞こえてくる問いかけは、実はすぐ身の回りにあるコンピューターから少しずつ発せられているように感じる。
コンピューターに意思があるなどと言うと、ばかばかしいと嗤われるだろうが、やはりコンピューターは人間の純粋な道具だった、いわば知能がなかった機械類とは違っているのではないか。
この四半世紀余りの間に社会にゆっくりと澱のように何かが溜まってきている。
それはじわじわと僕たち人間の存在にプレッシャーをかけ続けている。
そして、スマホの普及もあってそれはこの数年で加速している。
その正体は、コンピューター類の発する無言のメッセージなのではないかという気がする。
これから先、AI・ロボットが日常生活の中で完全に主力となれば、その目に見えないメッセージ=プレッシャーは著しく人々の精神を圧迫することになるのかも知れない。
というのは、あくまで僕の妄想ですが、
本気で「どうして僕は(わたしは)ロボットじゃないんだろう?」
と思っている人が、もうチラホラいるのではないだろうか。
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