「
もうすぐクリスマスだね」「あといくつねたらお正月だね」と言う人はいっぱいいるけど、「いよいよ勤労感謝の日ですね」という人はあまりいない。
だからあえて言ってみよう。
いよいよ勤労感謝の日ですね。
勤労感謝の日と言えば、外国人労働者受け入れ問題ですね。
日本の外国人労働者に対する扱いは、基本的にこの20~30年変わってない気がする。
最近特に思うのは、グローバル化がどうこうより、これはロボットまでの「つなぎ」なのかな、ということだ。
日本の産業界(他の国も同様かとは思うが)、つまり労働力を必要としている職場は、本当はロボットを求めている。
ロボットなら優秀で効率よく働けるし、低コストで済むし、人権がどうの保険がこうのなんて面倒くさいことも言わない。
ロボットならスムーズに仕事がはかどって、使う側はストレスが低減できる。
ぶっちゃけ、外国人労働者はそれまでのつなぎみたいな意識なのではないか。
欲しいのは「労働力」であって、人間ではないのだから。
ついでに言うと「実習生」という言葉からは日本に根付いている「徒弟制度」のニュアンスがある。
徒弟は仕事を教えてもらう立場にある「半人前」の人間なので、給料も半分でガマンすべき、掃除も雑用もすべて修行にコミコミだよ、というわけだ。
日本人の多く――少なくとも、僕も含めて現在の40代以上のほとんどは、この長らく続いてきた考え方に洗脳されているので「おまえは半人前だから「給料も少ないよ」と言われたら容易に納得してしまうだろう。
徒弟制度の在り方は日本の伝統文化の一つと言って過言ではない。
基本的には職人や芸事の世界での習慣だったが、サラリーマン社会にも広く普及してきたと感じる。
そういった習慣・文化は雇う側だけが守ってきたわけではない。
同じ雇われる側も「なんで先輩でスキルアップしているオレと、新入りの何もできないあいつが同じ(あるいは大差ない)給料なんだ」とツッコミを入れる。
そういうこともあって雇う側は素直に徒弟制度を受け入れてしまう。
仕事がろくにできないやつにまともな給料は払えない。
人権だの保険だのプライベートがどうのこうの言う奴なんかいらない。
でも人出不足だから忙しい間だけ働いていけ―― それが雇う側のスタンスなのだ。
しかし、日本人でも若い連中はこれを「搾取」と呼んで拒否し始めている。
徒弟制度は、いつか自分も一人前になって独立できるという夢と希望と、師匠である店とか人とか会社がそれを援助してくれるという温かい心の絆、信頼関係があってやっと成り立っていた。
だから働く人たちは厳しい仕打ち、理不尽な扱いにも耐えられた。
少なくともそれが「搾取」だとは露ほども思わなかった。
ま、いわば宗教みたいなもので、信じる者は救われたのである。
成長の時代をとうに過ぎて、そうした夢も希望も信頼関係も失われ、経済効率オンリー、ロボット求むのメンタリティになった現代にはもう通用しないのではないだろうか。日本の文化を理解できない外国人にはなおさらだ。
ギリシャ時代、かの国では労働とは奴隷がすることで、人間の仕事と見なされていなかった。
人間とは労働のために動かすことなく、政治や社会や芸術について考える人たちのことだった。
日本を含め先進国の人間のメンタリティはだんだんそこに近づいているのではないかという気がする。
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