高齢者を書くということについて

  

 最近、高齢者・老人のイメージ・概念そのものが本当に大きく変わってしまった。

 若い世代との交流の仕方もすっかり変わったという印象がある。

 本格的にエイジレスの時代が始まっている。

 

 なので脚本を書いていて、70代とか80代の高齢者を登場させるとセリフの書き方に戸惑う。

 もうかつてのように「わしは・・・じゃ」なんて感じでは書けない。

 サザエさんの波平さんや、ちびまる子ちゃんの友蔵さんみたいなのは現代では通用しない。

 

 かなりマンガっぽいキャラ(白髭の○○博士とか○○師匠とか)ならそれでもOKなんだろうけど、ある程度リアル感を追求すると、ぱっと読んだだけでは年齢が分からないセリフになってしまう。

 いわばじいちゃんぽく・ばあちゃんっぽくならない。

 

 かつては頑固じじい、性悪ばばあなどもいたけど。基本的にお年寄りと言えば、人畜無害で善良な市民か、よぼよぼの老いぼれか、師範や大先生といった人生を極めた人、博士のように専門を極めた人が大半だった。

 

 でも今の高齢者と言えば、時代の変化に翻弄されて迷い、戸惑い、生きることにも死ぬことにも怯えながら、それでも自分の人生を肯定したくて頑張っている人たち――それが全体的なイメージだ。

 

 どんな生き方をしてきたのか、現在どんな状況にあるのか(健康なのかそうでないのか、仕事をしているのかしていないのか、家族はいるのかいないのか、どこに住んで何を食っているのか・・・)、で、人のセリフは違ったものになってくる。

 高齢者を書こうとすると、それがいっそう顕著になるので、バックストーリーを相当作り込まないとまったく書けない。

 

 今は穏やかに静かに暮らしているじいちゃんでも、かつてはゴロツキどもを震え上がらせた任侠ヤクザだったかも知れない。

 

 今はケチなごうつくなばあちゃんでも、かつては男どもをイチコロにした女神さまだったのかも知れない。

 

 一口にじいちゃん・ばあちゃんと言っても、また、たとえそれが架空の人物でも、それなりの歴史・それなりの世界を持った人間にしっかり向き合い、人間像を構築していくのはなかなか骨が折れる仕事だ。

 ま、それもこれも当たり前の話なんだけど。