和泉親児の会の椎木さん(第5代会長)から北さんの訃報メールを受けて昨日、お葬式に行った。
亡くなったのは7日の早朝だったそうだ。
北さんは息子が卒業した小学校の図書室で司書をやっていた方である。
司書という職業の一般的なイメージは、静かで知的な人という感じだろうか。
彼女はそこから逸脱していて、とても明るく剽軽な一面も持ち合わせた楽しい女性だった。
学校の図書館は学習の場であるとともに、ちょっと気持ちが凹んだ子や、学校生活がうまくいかない子のホッとできる居場所、癒しの場所でもある。
北さんの明るさ・楽しさはそんな子どもたちにとって有りがたいものだったのろうと想像する。
彼女に甘えていた子供たちも結構いたようだ。
かの和泉小学校の司書だったのは2011年度から14年度までだったと思うが、その間、彼女の企画で朝の読み聞かせ会をやっていた。
和泉親児の会がそれに協力し、僕はそのメンバーの一人として、卒業した息子の使い古しの青いランドセルを担いで月に数回、学校に通った。
また、教会の子供向けクリスマス会のアレンジャーもやっていて、余興をやってくれないかと頼まれ、椎木さんたちと組んでサンタとトナカイのコントみたいなことを3回にわたってやった。
いつも時間がなくて、やっつけ・間に合わせの出し物だったが、そこそこ喜んでもらっていたようである。
北さんはクリスチャンだったので、お葬式はその教会でやった。
うちから歩いて10分と掛からない、住宅街の小さなプロテスタントの教会だ。
ご自宅はやや離れたところ(たしか中野区)だったので、和泉小学校に通っていたころに特にその和泉教会と親しくなったのかもしれない。
教会といえども周囲の家と変わらない大きさで、アットホームなところだったので、ほとんど自宅葬のような感じだった。
おそらく100人以上の人が集まり、入り切らなくて庭先にまで人が溢れ出していた。
和泉小から去る頃、背中が痛いと訴えていた。
胸腺がんというあまり症例のないがんだったそうだ。
一時、回復してFBも積極的にやっていたのだが、2年半くらい前に途絶えていた。
3年ほど闘病したが、9月になって死期を悟ったようで、教会を訪れ、相談して遺影や花の飾りつけなど、自分のお葬式をこうしてほしいと頼んでいたそうだ。
「わたしの歴史」と題する自分史も書いていて、式の中で10分ほどの間、牧師さんがそれを読み上げた。
離婚を経験するなど、いろいろつらい時期もあったようだが、彼女らしい人生を送ったのだろうと思う。
ほんのわずかな期間、わずかな関係だったが、僕たちもその歴史の一部だったのだなと思った。
誰でも誰かの人生の一部分になっている。
たとえ引きこもっていても、ずっと孤独で過ごしていたとしても、ずいぶん齢を取り、もうみんなに忘れられてしまっただろうと思っていても、誰もが誰かの歴史の一部になっているのだ。
弔辞を述べた人のひとりは教会のスタッフで、かなりご高齢の婦人だったが、「北さん、お友達になってくれてありがとう」と、まるで童女のように言ったのがとても胸に響いた。
北さんは僕より一つ年下だった。
自分と同世代、あるいは自分より若い人とのお別れはひとしお切ない。
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