患者のセリフは信じるな、医者のセリフも信じるな

 

 慢性硬膜下血腫の手術で入院➔退院して半月以上経過。

 どっさり1か月分もらった薬も残り半分以下になりました。

 この数日、涼しくなっいぇいますが、入院中は猛暑の真っ最中だったので、思い返すとなんだか病院に避暑に行っていたような感じです。

 

 なんて今だから言えるけど、きょうカミさんと話していて、一歩間違えば相当やばいことになっていたなぁと実感しました。

 なにせ通りすがりの美人のお姉さんに警察と救急車を呼んでもらってから、翌日、手術を受けて目が覚めるまでの約20時間の記憶がほとんど残っていない。夢の中のようにおぼろげな断片が浮かぶだけです。

 

 どうも僕は最初に救急車で運ばれた病院で車いすに坐っていながら「大丈夫です、なんともありません」と言い張っていたらしい。

 

 病院側もいい加減なもんで、どう見てもフラフラ状態の患者を「ご本人も大丈夫と言っているから大丈夫ですよ」と追っ払うように返したらしい。

 検査だけはしたけど、しかもその検査でどう見ても脳の状態は大丈夫じゃないのがわかったのに返しちゃうってどういうこと? ご都合主義もいいところ。まあ、入ったのが夜で手術できない状態だったからしかたないけど。

 

 どうやらこの病院は中間地点みたいなところで、医局つながりの他の大病院へ患者を回す役割を担っているらしい。つまり自分のところでは治療はしない。

 カミさんがネゴると、翌朝すぐに対処してもらえるようにするからと、その病院(テレビでも出てくる、最近、割と有名なところ)を紹介してくれました。

 

 それで翌朝、紹介状を持ってそこへ行ったら満床だから手術しても入院はできないと言われ、またもや追い返される羽目に。

 

 それでまたもや救急車を呼んでもらって近くの三宿病院へ行き、やっと緊急手術・入院とあいなったわけです。

 しかしそこでも僕はバカの一つ覚えみたいに「いや、おれは大丈夫」と言い続けていたらしい。

 

 べつに強がっていたわけでも何でもなく、主観的には本当に自分は大丈夫だと思い込んでいたようです。

 たぶん潜在意識の中で自分がおかしくなっていることえを認めたくない、周囲から病人扱いされたくない、といった気持ちがそういう表現に結びついたのでしょう。

 

 現実にはカミさんと息子に支えられてやっと歩ける、やばいおっさんだったのに・・・・。主観と客観のギャップに愕然です。

 

 当たり前だけど「大丈夫」と言えば「大丈夫」になるわけじゃない。

 そんなわけで前も書いたけど、こういう場合、精神論やタながんばりは、まったく無用・無意味どころか、弊害でしかありません。

 あたりまえだけど、「大丈夫」と言ったから「大丈夫」になるわけじゃない。こういう患者の言うことは信じちゃいけないし、それをうまいこと使って「大丈夫ですからお帰りください」なんてぬかす医者の言うことはもっと信じちゃダメです。

 

 うーん、医者にかかるのは難しい。いずれにしてもカミさんがあれこれネゴったり、機転を利かせてくれたおかげで助かりました。

 以前にも増して頭が上がらない。