一昨日、Nスぺの「駅の子の闘い ~語り始めた戦災孤児」というドキュメンタリーを観ました。
「駅の子」というのは戦争(空襲など)で親を亡くし、戦災孤児になった子供たちです。
東京なら上野駅が最も多く、駅の構内で寝起きしていたので「駅の子」と呼ばれていたそうです。
戦争の被害者の中でもこれまであまり表に出ることのなかった人たちです。
東京在住の90歳に近い女性は、すでに未亡人ですが、亡くなった夫には最後まで自分が「戦災孤児(浮浪児)だったことを打ち明けられなかったと話していました。そうした自分の過去がわかってしまったら・・・と怖れながら生きてきたのでしょう。
彼女らは 今の小中学生の年齢の時にあまりに過酷で、惨めな思いをしたので、彼ら自身の罪ではないのに一生消えない恥の烙印を押されてしまったのです。
しかもそれを押したのは、敵だった連合軍ではなく、昨日まで仲間であり守ってくれる存在だった日本人の大人たち。ほとんど犬猫扱いで、いわば社会全体からの児童虐待のようなものです。
もちろん終戦直後の異常な状態の中、多くの大人も頭がおかしくなっていたせいですが、これでは大人を恨むな、社会を呪うな、というほうが無理というもの。
全国で120万人もいたという、こうした元・子供たちの話を聞いていると、もう人生、運しかないなと思ってしまいました。
さすがに国もこの惨状をいつまでも放置しておくわけにはいかず、終戦翌年の11月に児童福祉法が施行され改善に向かいます。
しかし数年後、国が復興し社会がまともになるまで何とかもった子は良かったものの、ひどい状況の中で病気や栄養失調で健康を害したり、精神を病んだり、犯罪生活や売春行為からぬけ出せなくなってしまった子も少なくなかったようです。
そして、ここでもどの施設に送られ、どんな大人に出会うかで運命の明暗が分かれてしまったのだと思います。
120万人の中で何割が無事大人になり、正常な社会生活を送れるようになったのでしょう?
すでに皆さん高齢なので、傷跡を隠したままで生を終えることも可能なのだと思いますが、どこかで心の中の子どもが、戦争なんて知らないよという人たちに「語らなきゃ」とやんちゃを言い出したのでしょうか。
先だっては「戦後73年もたっているんだから」と書いてしまいまいましたが、この人たちの中の子どもが持つ怒り・悲しみの感情は、73年だろうが、100年だろうが薄れることはない。そんな時間経過なんて関係ないのだと思います。
人生の先輩たちに対して恐縮ですが、そんな目にあったにも関わらず、よくここまで頑張ってちゃんと生きぬいて来られました・・・と本当に頭が下がる思いを抱きました。
ちなみに半村良の「晴れた空」(祥伝社文庫・上下巻)は、戦災孤児と戦後直後の社会の様子を描いた数少ない小説で、とても読み応えがあります。
作者は上野の闇市を体験しているようで、こうした子供たちとの交流もあったのでしょう。
あくまでフィクションですが、こういう作品は終戦当時の現場の空気を吸ってないとなかなか書けません。
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