人魚姫は船から身を投げて海の泡となって消える運命だったのに、幸か不幸か、人間の姿のまま、声を失ったまま生き延びた。
四半世紀が過ぎ、15歳だった少女は中年となり、1962年のアメリカ・ボルチモアの宇宙科学研究所で清掃員の職を得た。
自宅のアパートと職場を往復する淡々とした毎日。
風呂場で自慰に耽るときだけ、失われた人魚だった頃の記憶がかすかによみがえる。
まだアメリカが「強いアメリカ」で、セクハラもパワハラも当たり前だったこの時代、障害を持ち、底辺の歯車として、しかも汚れ仕事で働く独身の中年女なんて社会は見向きもしない。
彼女のことを気にかけてくれるのは、いつもしょーもない亭主の愚痴ばかり言っている同僚の黒人女と、アパートの隣の部屋に住んでいて、若い男に失恋する、年老いた絵描きのゲイだけだ。
それでも彼女は自分がさして不幸だとも思わす、ささやかな日常を大事にして生きていた。
そんなある日、研究所にある特異な生き物が運ばれてくる。
その生き物――「アマゾンの半魚人」に出会ったことで、恋に焦がれる人魚姫の記憶がよみがえる――
という、改めて辿ってみると、とんでもなく奇をてらったストーリー。
ところが、これがいい。
甘く切ないラブストーリーをベースに、古典SF、ホラー、ファンタジーの要素が絶妙にブレンドされて、ちょっとコミカルだったり、エロチックだったり、といったスパイスもまぶされている。
すっかりツボにはまってしまった。
ヒロインは若くも美人でもないし、子供時代のトラウマのせいで声が出せないということ以外、生い立ちも謎のまま。
けれどもその感情表現は素晴らしく、ラストシーンは本当に人魚に帰っていくのではないかと思った。
また、1962年という「近過去」の設定もいい。
リアリズムとファンタジーのハーフ&ハーフが、ギリギリのバランスで成り立つ美味しい時代だ。
そしてまた、トランプ政権下の現代のアメリカを風刺しているかのような映画でもある。
こうした寓話性の高い物語は、よく「大人のおとぎ話」と呼ばれるけど、それで片付けるのはつまらないし、何だかもったいない気がする。
人間が生きる本質は思わぬところに隠れている。
それを見つけるためにも、こういう映画は役に立つのではないかと思う。
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