原稿を書いていると、過去の出来事について、それが起こったの年を西暦で書くか、元号で書くか、迷うことがあります。
大正時代から前は併記しないと自分自身がわからないし、読者もよくわからない人が多いでしょう。
大正3年、明治24年、慶応元年をそれぞれ西暦に直せ、と言われてその場でぱっとわかる人はあまりいないと思います。
やっかいなのが昭和で、これは過去でありながら、年寄りにとってはいまだ続いている現在なのでややこしい。
うちの母親は昭和4年生まれですが、時々、自分の齢がわからなくなります。
そんなとき、僕は「今年は昭和93年。だからお母さんは89だよ」と言ってます。
母の頭の中では西暦はもちろんですが、平成という元号は、どこか他の国の歴史の数字のようです。
僕の場合は、同じ年であっても昭和〇年と西暦〇年は随分イメージが違っています。
だから特にルールを課されない場合は、ほとんど自分の感覚で書き分けます。(字数が許されるときは極力併記しますが)
たとえばビートルズの来日公演はやっぱり1966年で、昭和41年ではない。
同じくアポロ11号の月着陸は1969年で、昭和43年ではない。
逆に平成天皇(当時皇太子)のご成婚は昭和34年で、1959年ではない。
前・東京オリンピックは、1964年と昭和39年、両方ありかなぁ。
昭和は40年代までは風味が農厚で、その時代の空気を数字で明瞭に表現してくれるのですが、50年代・60年代になると急に印象が薄くなる。
昭和50年と言われても全然ピンと来ないのだけど、1975年と言われれば長髪でベルボトムの裾がボロボロになったジーパンはいた若者が、ギター鳴らしているシーンが即座に思い浮かびます。
昭和55年も60年も、1980年とか85年とか言われないとイメージわかないなぁ。
平成は1989年から始まってて、出だしがバブルで盛り上がっていた時代だったので、明るく楽しく軽やかなイメージが強い。
だけど、そのあとすぐに経済が急降下しちゃって、そのせいか日本人もおかしくなっちゃって、1990年代には心理学やらプロファイリングみたいなものが流行ってくらーくなってしまい、それがずーっとダラダラ続いて、失われた10年やら20年やらが30年になって、結局、平成はまるごとロストジェネレーションになってしまうのではないかという危機感が漂います。
その平成も残り1年あまり。
2019年から始まる新しい元号はどんなもので、どんな空気を作るのだろう?
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