昔のことなので、そのおじさんがなぜ訪ねてきたか忘れてしまったが、たぶんガスの定期点検かなんかだったのだろう。
とにかくおじさんは、うちの玄関に飾ってあったとうもろこしの水墨画を見て言った。
「あ、この絵、わたし知ってますよ。描いた人」
「ほんと?ご存知なんですか?」
「けっこう有名な人ですよね?」
「お目が高い。かの福嶋青観の絵ですよ」
「あ、そうそう。福嶋青観ね。おいくらぐらいしたんですか」
「銀座の画廊でね、100万でした」
「ああ、やっぱりね。それくらいしますよね。いや、いいもの見せてもらいました。
それじゃ」
(ト、おじさん、気分良くルンルン気分で帰っていく)
以上の会話は実は架空のものです。
実際の会話はどうだったかと再現すると・・・
「あ、この絵、わたし知ってますよ。描いた人」
「え、なんで?」
「けっこう有名な人ですよね? 高いんでしょ、おいくらぐらい?」
「いや・・・それはうちの家内の絵です」
「え?」
「以前、水墨画教室に通ってまして、そこで描いたものですが・・・」
「あ・・・そうですか・・・どうも失礼しました」
(ト、おじさん、恥ずかしそうに慌てて立ち去る)
どうぜその場限りでしか会わない人だから、適当に話を合わせて気分よくさせてあげればよかったのに、気が回らんかった。
つい正直なことを言って恥をかかせてしまった~と、いまだに後悔しています。
衣食住が足り、生活が安定すると、多かれ少なかれ、人は誰でも芸術に心を寄せるようになる。
自分は芸術に理解がある、よくわかっていると思いたい。
そしてそれ以上に、人からそう見られたいと欲する。
でも、世間で認められている絵ばかりが芸術じゃない。
水墨画教室の生徒の絵だって、あなたが「これは素晴らしい。おいしそう」と心から感じたのなら、それはあなたにとって銀座の画廊の100万円の絵よりも価値の高い芸術なのです。
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