8年前の今頃、息子が通っていた小学校の校長室に毎週土曜日、10人以上のメンバーが集まり、原稿を手にえんえん編集会議をやっていた。
校庭の芝生の本を出版するためだ。
僕はライターの一人だったので、当然、毎回出席。
一行一行、ああでもない、こうでもないと、時に大激論になる。
基本的に午前中から昼過ぎまで3時間くらいが定時だが、ランチが運び込まれ、日が暮れる時間まで「残業」したこともしばしば。
いつも芝生の面倒を見ていた、そのメンバーらの本への思い入れはハンパない。
取りまとめ役の若き編集者Mくんは、おっさん・おばさんたちの執念にヒーコラ音を上げていた。
3月になって本は無事完成し「悠雲舎」という小さな出版社から出版。
わずかながら書店にも並んだ。
その悠雲舎の社長が白滝一紀さんだった。
白滝さんはもともと銀行マンだったが教育方面にも熱心で、出版社も経営し、学校支援本部の本部長も引き受け、当時の校長も頼りにしていた。
この本の企画にも無償で、全面的に協力してくれた。(発行人は白滝さんの名前がクレジットされている)
その白滝さんが5日前の2月13日、82歳で亡くなったのを聞き、今日はご葬儀に出席した。
永福町駅近辺を歩いている姿が目に浮かぶ。
ちょっとガニ股の、特徴的な歩き方は遠目でもすぐにわかる。
僕と会うと、いつも「ヨッ!」と手を挙げて笑って話しかけてきた。
「気のいい近所のおっちゃん」を絵に描いたような人だったが、秋田から上京し、早稲田を出て、有名銀行・有名保険会社の要職を次々と務めた、そうそうたる履歴の持ち主である。
葬儀は神式で行われ(神式に出席するのは確か2回目。焼香でなく、玉串を祭壇に供える)、宮司が祝詞でその履歴を唱えるのだが、あの独特の雅やかな節回しにかの大学・銀行・企業の名前が乗っかると、白滝さんのキャラと相まって、面白かわいく感じ、不謹慎ながら、つい下を向いて笑ってしまった。
校庭芝生の小学校はその後、隣の中学、他の小学校と統合され、杉並和泉学園に。そこでも白滝さんは引き続き、最期まで学校支援本部長を務められた。
当時、音を上げていたM君=エディター三坂氏は、今、僕の仕事のパートナーになっている。
彼も語るように、あれは本当に貴重な経験だった。
そして何より、とびきり楽しい思い出――まさか子供の学校であんなことが起こるなんて思ってもみなかった。
いろいろなご縁を作ってくれた白滝さんに感謝。
どうぞゆっくりお休みください。
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