バレンタインデーなので、カミさんから「プレミアム・チョコプリン」を頂きました。自分も食べたいのでこれにしたようです。
何がプレミアムなのか食べてみると、プリンという呼び名は相応しくない。
食感はレアチーズケーキに近い。味は濃厚、そしてビター。でもしっかりチョコレート感がある。これはおいしい。ありがとう。
僕は、人間の歴史はチョコレートが開発される前と後とに分けて考えられるんじゃないか、と考えています。
古代から疲れを癒し、魂を覚醒させる効果があると信じられてきたチョコレート(古代は飲み物で、チョコというよりココアでしたが)。
それが近世の西洋社会で量産され、普及するようになって、人々の知覚は明らかに鋭敏になった。
いわゆるドラッグのような効果があったのではないかと言われています。
体に害はないんだけど、「やばい食べ物」と言われた時期もあったようです。
庶民にあんまり頭良くなってもらいたくない人たち、知恵を付けてほしくない人たちは、すぐにこういうことを言い出しますね。
明治時代、日本で作られ出回るようになった頃も「牛の血を混ぜて作っている」とか、いろいろデマが飛び交い、売るのに苦戦したようです。
日本の庶民が本当にチョコレートの味を知るようになったのは、やっぱり戦後から。
「ギブ・ミー・チョコレート!」と叫んで進駐軍のジープを追いかける、あの子供たちからでしょう。
映画やドラマでしかあのシーンを見たことがないけど、何度見ても衝撃的。
あんな体験をリアルにしてしまった子供の胸には、良いにつけ悪いにつけ、アメリカの存在の大きさが胸に刻み込まれたことでしょう。
そういえば、あのあたりの世代はアメリカかぶれが多いような気がします。
無理もありません。
あの時代、将来の日本人の頭を洗脳するのにチョコレートはうってつけでした。
まさしくドラッグとして機能していたとしても、おかしくありません。
父や叔父・叔母はそうした経験をしていないと思うけど(齢が下の方の叔父・叔母はちょうど「ギブ・ミー」の世代だけど)、僕が子供の頃、パチンコで勝って景品のチョコレートをもらってくると、誇らしげに僕や妹にたちに手渡しました。
多くは「森永ハイクラウン」など、子供にとってワンランク上のちょっと大人っぽい、高級っぽいやつです。
子供にチョコレートを与えられる、まっとうな生活力にある大人。
そういう大人であることに、深い満足感を覚えていたのだと思います。
もちろん僕たちは大喜びで、家族は幸せでした。
チョコレートをかじると、その時代のみんなの笑顔を思い出します。
僕が子供の頃からずっとチョコレートを好きで、食べるといろんな思いにとらわれるのは、そんな理由からです。
すっかり習慣化したバレンタインデーは、朝からあちこちでいろんなチョコ――もちろ義理チョコの類だけど――をもらって食べました。
でも家庭によけいな波風を立てたくないので、毎年カミさんには黙っているようにしています。
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