「還暦から勝負です」と宣言した人がいるが、先パイ、その通りです。
あなたも老後の心配で、使わないカネを貯め込んでいる場合じゃありません。
「人生50年」と言われた時代でも、50歳から大活躍した人がいます。
マイナビ農業の仕事で、日本における肉食の歴史を調べていると、幕末から明治にかけて活躍した「中川屋嘉兵衛(中川嘉兵衛)」という名に出会いました。
この人は慶応3(1867)年、荏原郡白金村に東京初の屠畜場を開いた人です。
三河(現在の愛知県岡崎市)出身で、京都で漢学を修めた後、江戸に出てきてイギリス公使の料理人見習いをしながら英語を勉強し、欧米人相手のビジネスを画策。
そして慶応元(1865)年、開港間もない横浜に出て、アメリカ人医師のもとで牛乳販売業を、イギリス軍の食料用達商人としてパンやビスケットの製造販売、さらに牛肉の販売を手掛けるようになりました。
しかし車も冷蔵庫もまだない時代。横浜から江戸まで肉を運ぶのは至難の業ということで、都内に屠畜場を作り、芝高輪の英国大使館に納品したのです。
それとほとんど並行する形で、肉を鮮度がいいまま保存管理するには氷が必要となって製氷業を、ついでにアイスクリーム屋も開業。お肉の方では牛鍋屋も開店。
次から次へといろんな事業をやって、人からは「節操ない男」と映ったかもしれませんが、彼の中では「洋食事業」ということでつながっており、それぞれ牛乳部門、パン部門、肉部門、製氷部門・・・といったように部門別に分かれていたにすぎないのかもしれません。
いわば日本における「洋食文化の父」と呼べる人でしょう。
僕は最初、資料を読んでいて、彼のことを勝手に岩崎弥太郎みたいな青年実業家だと思っていたのですが、江戸に出てきたのは40歳、横浜に出た時はすでに50歳!
これは江戸時代の社会常識で考えれば、人生晩年近く。
すでにご隠居さんとなってもおかしくない齢でしょう。
そこから欧米人に仕えて取り入って、車も鉄道も、電話もインターネットもない環境でこれだけの事業を成し遂げ、80歳まで仕事をやりぬいたというのだから、中川屋嘉兵衛あっぱれ。
「もうトシですからムリですぅ~」とか、
「もう今からでは遅すぎますぅ~」とか言ってる場合じゃないですよね。
何かやってもやらなくても同じように齢は取る。
何歳だって“今”より早いスタートはないわけですから。
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