競争社会では勝者の話はいやというほど聞けるが、敗者の話はなかなか聞けない。
もっと負けたやつに話してほしい。
ライバルをドーピング疑惑に陥れたカヌー選手にあえて同情してみる。
いったん引退した後、東京五輪出場をめざしての復帰。
年齢的にはギリギリ。
大丈夫、外国の選手で35歳でチャンピオンになった人もいる。
あきらめるな、カズさんを見ろ。50を過ぎてもまだ現役だ。
そんな周囲の励ましもあったという。(カズさんの話は僕の付け足しです)
結果論としてはその励ましが仇になった。
子ども時代から全国大会で優勝を繰り返し、国内では常にトップ選手。
周囲の人たち、地元の人たちにとってはヒーローだ。
でもオリンピックには届かなかった。
これが最後のチャンスだ、がんばらねば、ここで負けて五輪に出られなければ、これまで人生を賭けてやってきたことのすべてを失う。
そうした覚悟でやったことも結果的に仇になった。
すべて以上のものを失った。
告白するのは恐怖したと思う。
卑怯者。卑劣漢。アスリートのクズ。
あらゆる非難・罵詈雑言が頭の中に渦巻いただろう。
でも、黙っているのはもっと苦しかった。
人間はやっぱり良心の呵責には勝てないのだ。
そう考えると、ちょっと安心させてくれた面、人間を信じさせてくれた面もある。
被害者となった選手も、彼のおかげで多くの人に知られ、ファン・応援団が増えるかもしれない。イケメンだし。
そう考えると、ちょっとは救われるかも。
地元開催のオリンピック。
どの選手も命を懸けてがんばっている。
見えないところでは、こうした負のドラマもいっぱい生まれそうだ。
こんなことをいうと失礼かもしれないが、早くに脱落した選手はまだいい。
あきらめがつく。切り替えられる。別の道が見つけられる。
出場できるかどうか瀬戸際の選手がいちばんきつい。
負けても一生けん命頑張ったんだからいじゃないか。
みんなきっと労ってくれるよ。なあみんな、負けた人も讃えよう。
これはまったく正しい。
でも人間の感情は、こうした正論だけでおさまるものなのか。
世の中、勝った人より負けた人の方が圧倒的に多い。
今日勝った人も明日は負けるかもしれない。
もっと負けた人の声が聞きたい。
負けっぱなしでも強く、しぶとく、勝っているやつよりハッピーに生きているぜ。
本でも番組でもいいから、そういう声がもっと聞きたいと思う。
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