酉年ももうすぐ終わり。
先月東京しゃもの取材でお会いした、生産組合の組長・浅野養鶏場の浅野さんは齢80ながら、パラグライダーで空を飛ぶ鳥人でした。
その浅野さんの言葉が耳に残っています。
「鳥のように自由に生きたかったんだ。
それを母親に言ったら『じゃあ勤め人にはおなりなさるな』と言われたんだよね。
だから自分で養鶏をやろうと思った」
いまや大学も就活工場と化す時代だけど、
戦後の混乱期・食糧難の時代を経験した人が、こんなセリフをさらりと言うとやっぱりカッコいい。
それで尊敬する専門家に話を聞きにいったところ、
空を飛ぶ鳥は体重を軽く保つ必要がある。
そのため、最小の筋肉で最大の飛翔エネルギーを生み出せるよう、身体の構造が進化した。
だから常に新鮮な酸素を必要とする。
飛べなくなった鶏もその生命の原理は同じ。
なので鶏を飼うなら常に風が良く通る土地でやるべき。
そんな話から現在の秋川の地に養鶏場を開いたといいます。
その後、日本の市場にブロイラーが入り、席巻されたけど、浅野さんはアメリカが仕掛けたブロイラー戦略に乗らず、国産の採卵鶏にこだわり、やがて東京しゃもの開発に協力。
今も生産組合の組長を務めています。
昼間は1万羽の鶏たちの世話をし、夜は絵を描き、声楽をやる芸術家的生活。
厳しいけれども楽しい、楽しいけれども厳しい。
それがフリーランスの人生。
鳥のように自由に。
僕たちには空を飛ぶための翼があることを忘れてはいけない。
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