「釣った魚にエサをやらない男」は、じつはその魚に依存して生きている

 

 むかし、ある女友達に「あんたは釣った魚にエサをやらない男」と言われたことがあります。彼女とは恋愛関係になったことはなかったのだが・・・。

 

 この間、男脳・女脳に関する本を読んでいたら、なぜかそのセリフがぷわっと浮かんできました。

 

 大半の男は、連れ合いとして長年一緒に暮らしている女を、だんだん自分の身体の一部として認知するようになるという。

 

 独立した、別の人間として認めているのだけど、同時に頭の中で、自分の手足としたり、目や耳にしたり、ある時は脳の一部としても認知してしまう。

 

 「もう一人の自分」とまではいかないけど、それにやや近い存在――一種のアバターもどきという感覚でしょうか。

 

 そういわれると、確かにそう感じているかなぁ・・・と自分でも思います。

 

 男脳は空間認識能力が高く、その能力を拡張することによって、外部のメカや道具と一体化する感覚――たとえば、車やバイク、あるいはノミやナイフなどが自分の身体の神経とつながっているかのような感覚を持てるとのこと。

 

 さまざまなメカの操縦者や、繊細な技術が必要とされる職人に男が多い所以です。

 ガンダムなどの人間搭乗型ロボットもそれと同じ原理なのでしょう。

 

 この感覚を応用すると、連れ合いも自分の一部にしちゃえるのです。

 

 しかし、そういう男は、もし相手に先立たれると、自分の身体の一部を失ったような感覚にとらわれ、すぐに弱って早晩死んでしまうといいます。

 

 確かにそういう事例はいっぱいあるし、逆の例は極端に少ない。

 女は夫に先立たれても、弱るどころか、逆に元気になるもんね。

 

 「釣った魚にエサをやらない男」も、じつは精神的にはその魚のほうに依存して生きている。

 それにしてもなんであんなこと、言われたのかなぁ・・・。