普通にしているともう痛くないけど、ちょっと重いものを持ったりすると腰に響く。
それに素早い動きやちょっと左右にひねると、やっぱり痛みが出る。
長時間椅子に座っていると疲労の塊が腰に貼りついた感じになって、立ち上がる時はやっぱり少し痛い。
という調子で、ぎっくり腰の回復度は7割弱といった感じ。
完調になるのは来週初めかな。
とはいえ、来週は取材や打ち合わせも入ってくるので、仕事にはもう着手。
というわけでお盆休みを棒に振ったけど、異常気象が味方になって、涼しくて助かりました。
それにしてもスポーツとはほぼ無縁の僕でさえ、こんな軽度のぎっくりで、あれこれ神経質になってしまうのだから、この間のロンドン陸上のボルト選手を見て、アスリートの体調管理は大変だろうなと改めて感じました。
日本人はスポーツというと、根性ドラマ、努力のストーリーが大好きだけど、トップアスリートになれる能力は、9割以上は天性の才能によるもの。
その比率は芸術家などよりもよほど高いらしい。
一流選手の間では「あいつには絶対叶わない」ということが、脳の直感でわかってしまうのだそうです。
だから世界のトップクラスともなれば、努力のしどころは、能力・技術を伸ばすことより、メンタルも含め、いかにベストコンディションを維持できるか、本番の舞台へ向けてドンピシャのタイミングで自分を最高の状態に持っていけるか。
休ませるのか、鍛え直すのか、刺激を加えるのか・・・その「調整する努力」に集約されます。
アスリートの肉体は超精密機械。
どんな競技でも、あちこち痛めることはあるし、ほんのちょっとしたことで狂いが生じるので、本人もコーチも本当に大変だと思う。
それこそ調整の最後のところは知識やノウハウというよりも、スピリチュアルな領域の話になるのではないだろうか。
ボルトも神に愛でられた「アマデウス」として、勝負の舞台では常に走りの神様が降臨していたのだろうけど、最後の最後は舞い降りなかった。
でも僕はそれで良かったと思う。
勝ち続けてきた天才が、有終の美を飾り、華々しく舞台から退場するなんて、なんだかウソっぽい。
敗者になって、自分の時代は終わったことを確認して去っていくのが、真っ当な在り方だと思います。
それでも頭を垂れず、最後っ屁のように、ツイッターでノー天気なコメントを残して退場したボルトは、オナラの残り香までスーパースターだった。
今度は噂に聞える、彼の若き従妹が、颯爽とトラックを駆け抜けるのを待ってるぞ。
その前に日本勢にがんばってほしいけどね。
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