お盆ということで先祖の話。
じいちゃん・ばあちゃんの話です。
その③は父方の祖母の巻。
●当時のわが家の住環境
4人の祖父母の中でいちばん長く一緒に時間を過ごした人、また、いちばん長く生きていた人です。
といっても亡くなったのは僕が中学2年の時で、かれこれ40年以上前。14年ほどの間、同じ家で暮らしていたことになります。
実家は僕が小学6年生の夏に建て直しましたが、古い家は6畳が三つきり。玄関と台所は土間になっており、ちょっとした裏庭がついているというつくり。トイレは汲み取り式、お風呂は最初ありませんでしたが、のちに家の外にちょっとした小屋を作って取り付けた、という具合でした。
その大して広くもない家に祖父母はもちろん、複数の叔父や叔母が同居していたり、時々、父の仕事の関係の人なのか、よく関係性の分からない人たちも出入りし寝泊りし、多い時は10人くらいで暮らしていたと思います。
そうした何やら混とんとした環境はかなり特殊なことなのだろうと思っていましたが、いろいろ話を聞くと、昭和40年代頃までは似たような家庭も少なくなかったようです。
そういえば僕の従妹や友だちとか、6畳一間のアパートに5人も6人も一緒に雑魚寝している家庭はザラにありました。
おおらかと言えば、おおらか。いい加減と言えば、いい加減。
子供だったから気にしなかったけど、大人のプライバシーはいったいどうなっていたのか?
●母VS祖母・叔母の目に見えないバトル
というわけで、うるさいガキはいるわ、小姑はいるわ、年寄りはいるわで、うちの母親はしじゅうイライラしていたような記憶があります。
あんまりおばあちゃんとの相性も良くなくて、あからさまにぶつかることはなかったけど、いろいろお互いに牽制し合っていた。
おばあちゃんは一応、母を立てて引くのですが、やはり不満を抱えていたようで、時々、ぶつくさこぼしていました。
僕にはやさしくて、よくお菓子とかお土産とか買ってくれたのだけど、母はそれが気に入らなかった。
こっちからも愚痴・陰口が聞こえてきます。
ついでに言っちゃうと、おばあちゃんの買ってくれるお菓子とかお土産は、どうも口に合わないものが多かった。
そのへんの味覚の違い・好みの違いが、明治生まれの人と昭和生まれの小僧とのギャップになっていた。
だからごちそうになったありがたみがイマイチ薄いんだよね。
こんな自分勝手なことを言ってごめんなさい・・・と今は思うけど。
また、しばらくの間、一緒に住んでいた叔母がいて、この人も僕を喫茶店に連れて行ってごちそうしてくれたり、よくお菓子をくれたりしていました。
ちなみにこちらは若くてハイカラなので、感覚が合い、いつも好きなものを提供してくれ、強烈な印象がある。
なので、母はこの二人が息子をスポイルしていると思っていて(実際、それは当たっていましたが)、神経質になっていました。
でもその一方で、手のかかる、うるさいガキの面倒を見てくれて助かる・・・という側面もあったのですが。
今にして思えば、僕という小僧をめぐって狭い家の中で、目に見えない女のバトルが繰り広げられていたわけです。
僕としては双方の悪口を聞くのは気持ちよくなかっけど、それを我慢すればいろいろ報酬が入るという、子どもならではの打算があって、おばあちゃんや叔母さんの施しを素直に受け入れていました。
だから思い返すと、このおばあちゃんに対する感情はけっこう複雑で、好きな部分と嫌いな部分がまぜこぜです。
●居場所を失くしたおばあちゃん
新しい家になってからは、叔父や叔母たちはめいめい別に住むことになり、一緒に住むのは僕たちの親子とおばあちゃんだけになりました。
おばあちゃんには仏壇のある広々とした六畳間が当てがわれ、母もそんなにイライラすることが減り、双方のストレスも解消されたのだろうと思います。
けれどもこの頃から急速に祖母の影は薄くなっていきました。
それから2年程のちに亡くなったのですが、その2年程の彼女の記憶がほとんど残っていない。
年寄りは長年暮らしていた環境から新しい環境に移ると、たとえそれがどんなに快適な場だとしても居場所を失ったような感覚を持つ・・・と言われます。
また、この世を去る時期を脳(潜在意識)が事前察知すると、徐々に霊魂と肉体が分離し始める・・・とう説も。
そんな現象が祖母にも起こっていたのかもしれません。
でもごく単純に、その頃、僕はもう小学6年生になっており、自分の部屋ももらってそこで時間を過ごすようになっていたので、祖母への関心が薄れていたからでないかとも思います。
それにしても、何だかここでもあまり良い孫ではなかった感が強いなぁ。
こちらのおばあちゃんにも謝らなきゃいけないようです。
to be continue・・・
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