30分間、自分を地球としてイメージしてみる。
人間の身体は地球になり得る。
日常の細々とした雑事、うざったい情報は空気中のダストと化し、風に吹かれて飛んでいく。
すると目の前に青い広大な海が現れる。
迷わず飛び込んでみる。
海面からほど近くには、慣れ親しんだ、明るいブルーの世界が広がっている。
ブルーの景色が変わってくる。
光と闇が入り混じり、だんだん闇の色が濃くなってくる。
奇怪な岩礁がそびえ、世にも美しい生き物と、不可思議で不気味な生き物が入れ替わり、その周囲で交わっている。
クジラが発信した低周波が水の中を運ばれていく。
はるか遠くの海にいる仲間へ送るヴォイスメール。
いつの時代のものか、難破した船が強大な岩礁の上に横たわる。
そこには途方もない宝が積み込まれているかもしれない。
もっと深く潜ってみようという欲求にかられる。
しかし、そこから下はほとんど光が届かず、漆黒の闇に包まれた世界だ。
欲求と同時に恐怖にかられる。
おそるおそる少しずつ降りていく。
あまりにストレンジな奇形の生き物。
けれども、それは遠い先祖の姿かもしれない。
海中で生まれた地球の子供たちは、数億年の間、脱皮を繰り返し、背骨を作り、肺を作り、地上に上り、やがて二本足で立ち上がり、歩き回るようになった。
命はひとつならりであり、僕らはこの星で生きていくため、限りない脱皮をした果ての、何億回と生まれ変わってきた子供たちなのだ。
そして脱皮は人間で終わったわけではない。
水の上に浮き上がって浜辺に出る。
人間の作った時計のある世界に戻る。
30分を少し過ぎている。
次はもう少し恐怖を感じず、もう少し深くまで行けるかもしれない。
地球になってみると、海が、陸が、自分の心の景色であると感じられる。
そして海の中は、あるいは地中は、心の深層につながっている。
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