昭和オカルト大百科

 

 ネッシーも、UFOも、心霊も、超能力も、そしてノストラダムスの予言した世界の終りも歴史になった。

 

 今さらですが、そう感じさせる一冊が、この「ぼくらの昭和オカルト大百科」です。

 

 今日は仕事の骨休め日と決めて、寝っ転がって、おせんべいを食べながら読んでいましたが、けっこう笑えておもしろかったです。

 もちろん、僕もこれらの世界におおいにハマっていた一人です。

 

 この著者の初見健一さんと言う人は1967年生まれで、僕より7つ年下なので、僕が中学・高校生で体験したことを、ほぼ小学生で体験しています。

 なので、その若さ分、はまり具合は僕よりさらにガッチリしてたのでしょう。

 

 まさにこの頃はテレビや雑誌が「見世物小屋」になり、「○○プロデューサー」と名乗る興行師・香具師たちが、昭和の大衆という名の子供たち相手に、

 「ほらほら、今度はこんなの連れてきたよ。怖い?でも見たいでしょ」

と、手を変え品を変え、ネタを抱いたりひっこめたりしながらボロ儲けしていたのだと思います。

 

 僕もこの著者と同じく、このペテンっぽさというか、オドロオドロしさというか、見世物感覚と言うか――が大好きでした。、

 

 いま、僕が気になるのは、ネッシーにしてもUFOにしても、もとネタとなった目撃者・撮影者・証言者が、どうしてねつ造をしたり、妄想虚言をしたのかということ。

 

 世間を騒がせ、面白がりたかったと言えばそれまでだけど、わざわざ手間暇かけてプランニングし、実行に移すプロセスには、いろいろ心の葛藤みたいなものがあったと思います。

 

 その証拠にこの世を去る前に、みんな「あれはウソだった」と告白している。

 神に犯した罪を懺悔するかのように。

 

 これら騒ぎを引き起こす行為の奥にはもっと人間の持っている根源的な欲求があるような気がします。

 

 みんな、均一に光が当たる、のっぺりとしたフラットな世界に耐えられないのかもしれない。

 

 もっとこの世界は陰影に富んだ、奥行きと言うか、科学では計り知れない不思議なもの、こことは違う「裏側」「向こう側」があるのだと信じたいのかもしれない。

 

 UFOはその陰の部分の闇夜の空から飛んでくるものであり、ネッシーは暗黒の湖底から首をもたげるものでした。

 

 しかし、ノストラダムスの予言は外れた21世紀には、大衆のための見世物小屋は撤去され、これらのネタはインターネットを通して見る「覗き込屋」になった。

 覗き小屋の中でUFOやネッシーは永遠に生き続けるのか?

 そして、ノストラダムスに代わる新しい「世界の終わり」の予言者は現れるのか?

 

 もしかしたら今度は人工知能がその役目を果たすかも知れません。