「世界屠畜紀行」の「屠る」と「食べる」

 

 「人を食った話」にはいろいろコメントを頂きました。

 やっぱり食人に関しては、単に「飢餓状態における野生の本能の発動」というわけでなく、脳のロックを解除するために宗教的・道徳的操作が必要になるようです。

 

 「この(食人という)行為を行うのは、神の御心なのだ。

 神が食べて生き延びよと導かれている」

 といったセリフを作って、自分で自分に納得させるのでしょう。

 そうでなくては鍵は開けられないのだと思います。

 

 そして食べる前には「屠る」――殺した上に切り捌く、という行為をしなくてはなりません。

 あんまり想像したくはありませんが・・・。

 

 しかし、この「屠る」=屠畜ということに関心を向けて、世界中を取材して回り、本を書いた人がいます。

 

 内澤旬子さんというライターで、「世界屠畜紀行」というのがその本で、2006年に「解放出版社」という大阪の出版社から出された本です。

 

 

 著者本人曰く「普段食べている肉をどうやって捌いているのか、単純に知りたかった」というのが、この企画の動機だったとのこと。

 

 そうした好奇心を持つ人は結構いると思いますが、実行に移す人はなかなかいない。

 尊敬に値します。

 

 ちなみに 彼女は「殺す」という言葉にまつわるネガティブなイメージが嫌だということで、「屠殺」ではなく「屠畜」を使っています。

 

 韓国、バリ島、エジプト、モンゴル、ヨーロッパ、そして沖縄、東京と回ってその屠畜の現場を精力的に取材しています。

 

 さすがに写真を載せるわけにはいかないので、イラストレーターでもある彼女は自分のスケッチ(妹尾河童画伯の細密画を想起させる画風)を載せています。

 

 ただ、これは「人間社会の内奥をえぐる迫真のルポルタージュ!」といった類のものではなく、目の前で起こっている事実をつぶさに観察し、それに対する自分の感情と考察を軽いタッチで、ちょっと面白おかしく描いており、「面白ノンフィクション」とでもいう感じの内容になっています。

 

 でもやっぱり描かれる場面は凄惨なことに変わりなく、実際に豚や牛や羊を屠畜する人たちとうまくコミュニケーションし、取材を成功させているのはすごいなぁと思います。

 

 また、命を奪う行為なので、どうしてもその国その社会の文化・道徳・宗教、社会のありよう、さらに職業に対する差別問題など、いろいろ複雑なものがそこから炙り出されてくるのです。

 

 いま僕たちは、幸福なことに、そのへんのスーパーやお肉屋さんで買って、あるいはレストランに行って、毎日、ごく日常的に、何も考えずに動物の肉を食べている。

 

 でもそこに来るには、自分でやるわけではないけど、「屠る」という行為が必ずあるわけで、そこにはすべからく文化・道徳・宗教・社会の問題が絡み合っている。

 

 平和な日常によけいなイメージを紛れ込ませて、めしが食えなくなるといけないので、考えたくない人は考えなくていいと思いますが、「食」に興味のあって平気そうな方は、ぜひ一読してみてください。