ロボットみたいな人間、人間みたいなロボット

 

 仕事の関係で、ソフトバンクのロボット「ペッパーくん」の写真を何枚か見ました。

 ビジネスシーンでも活用され始めたペッパーくん。

 チェコの劇作家カレル・チャペックが舞台劇「R・U・R」で初めてロボットを登場させてから、ロボットという概念は急速に世界に広まった。

 それから100年が過ぎ、いよいよ本格的に、そして日常的に人工知能・ロボットが活躍する時代が来たようです。

 

 この100年、ロボットのような人間が増えたと言われます。

 自分の頭で考えず、誰かの命令に従い、言われたままにひたすら働く人間。

 あるいは冷酷で計算高く、人情のない人間。

 

 だけど、ロボットのような人間が増えたのは当たり前です。

 それ以前の時代はロボットという概念がなかったのだから「ロボットのような人間」などいるはずがない。

 

 じゃ、それ以前の人間はすごく人間らしかったのか?

 みんな自分の頭で考え、自分の判断で行動していたのか?

 みんな人情に厚く、温かい心を持っていたのか?

 みんな満ち足りてハッピーだったのか?

 

 これからロボットが社会進出します。

 

 僕はなぜか昔から「老人とロボット」という取り合わせに興味があったのですが、高齢者施設におけるロボットの必要性・活用度はかなり高いようです。

 

 お年寄りはロボットなんて怖いし、嫌がるかと思いきや、どうもそんなことはなく、むしろ子供とよりも相性がいいなんて声も聞かれます。

 

 ロボットのように働いてきた人間、ロボットのように生きてきた人間が年老い、施設に入り、人間のようなロボットに世話してもらう。

 そして失っていた「人間らしさ」を取り戻す。

 

 けっしてアイロニーでもブラックユーモアでもなく、これからあちこちでそんな物語が生まれてくるかも知れません。

 

 でも、そこでまた疑問が湧き起る。

 

 「人間らしさ」っていったい何?

 「人間らしい」って、どういうこと?

 

 それを人間自身に考えさせるために、ロボットは人間の群れの中に入ってくるのかもしれない。