●「風味」という名のイメージ調味料
昨年の「ふるさとの食・にっぽんの食」のイベントで、出演者の講師(料理人)が話していたフレーズが印象に残っています。
「料理の風味というものは家庭の食卓で作られる」
最近、「食」に関する研究書を読んでいて知ったことですが、本当の意味での「風味」というのは実在しない。
風味とは物理的なものでなく、脳の中で作られるイメージだというのです。
僕たちが食べ物を味わう時、その食べ物が実際に持つ味・においの信号が、舌・鼻から神経を通って脳に伝えられます。
そこで脳が信号を処理して、その食べ物の味・においを認識させるわけですが、この処理の段階でかなり複雑な操作が行われます。
そこに絡んでくるのが「記憶」です。
その食べ物があった食卓の情景――食事をした時間・空間、誰がいっしょだったのか、その人たちとどんな関係で結ばれ、どんなコミュニケーションがあったのか・・・
といった環境すべてを含んだ要素で形成される、いわば、その食べ物を取り巻く「世界観」が入り混じって、ある種のストーリーを創り上げます。、
そして、そのストーリーに対する感情・イメージが形成され、それが「風味」となるのです。
僕たちは毎日・毎食、そうした「風味」という名のイメージ調味料をふりかけて食事をしているわけです。
そうすると、巷で売られている食品に付される「風味」「風味豊か」といった言葉は、実際には「軽いにおい」と言い表すのが正解なのでしょうね。
●人間を人間たらしめる風味・におい
この風味がないと食事はどうなるのか?
それは単なる栄養補給行為になって、動物がエサを食べるのと変わりなくなってしまう。
動物にはその味やにおいは感じられても、風味を感じられるわけではない。
風味があるからこそ、人間は食を楽しめ、人間としての食事をできる。
そしてまた、そこには自分の記憶・自分が存在する理由も含まれている。
この風味を形成するために重要なウェイトを占めるのが「におい」ですが、事故などで嗅覚を失ったりする(においを感じる神経が損傷する)と、脳の中で「風味」を構築することができなくなり、食事を楽しめなくなります。
そればかりか、自分の記憶・アイデンティティを失う危機に陥ると言います。
イヌなど(および野生動物全般)は、嗅覚によって、自分がいる世界を認識すると言いますが、文明社会に生きる人間の場合も、それと同じことが言えそうです。
ちなみに人間の嗅覚はイヌや、その他の野生動物より数段劣るというのが従来の説でしたが、最近の研究ではそんなことはなく、人間は一兆種類以上のにおいを識別できると言います。
しかも脳内で記憶と結びつけ、「風味」に変換できるという、他の動物には逆立ちしても真似できない特殊能力も兼ね備えている。
●母の料理は超えられない
そう考えていくと、単なる栄養学を超えて、幼少期の食育というのがいかに大事か、が分ってきます。
ただ食わしておけばいいわけではないし、毎食ぜいたくなものを食べればいいというわけでもありません。
そういえば、冒頭にご紹介した料理人の方は、戦前のお生まれで、子供の頃、家の台所ではまだかまどを使っていたとか。
「長年プロとしてやっているけど、私の料理は、永遠に母の手料理を超えられない」とも言っていました。
におい・風味・記憶――人間の食にまつわる世界は、底なしに深く、面白い。
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