新聞少年絶滅?物語

 

●昭和ロマンの新聞少年

  

 今、新聞配達の仕事ってどうなっているんだろう?

 ・・・と、ふと気になっています。

 最近見かける新聞配達は、バイクでぶいーんと走っている兄ちゃん。

 というか、どっちかというとおっさんが多い(たまにお姉さん、おばさん)ような気がします。

 

 僕が子供の頃は、新聞配達の主役と言えば新聞少年――つまり子供、小中学生でした。

 貧乏に負けず、毎日早起きして家計を助けるために頑張って働き、終わったら学校に行ってよく学び、よく遊ぶ。そしてまた夕刊の配達へ。

 

 それをフォローするちょっとくだけた大人たちが周囲にいて、時にあたたかく、時にきびしく、時にズッコケながら少年らの成長を見守る・・・。

 新聞配達という仕事からはイモヅル式に、そういう笑いあり、涙ありの昭和ロマンを連想してしまうのです。

 

●新聞配っているやつらはいいやつら

 

 現実的な記憶をたどってみると、

 僕が小学生だった昭和40年代、新聞配達をやっている同級生はクラスに必ず2~3人いはいたように思います。

 女子はやらないので、男子の1割強といったところでしょうか。

 もう少し年齢が上の人たち――昭和30年代に小学生だった人たちなら、もっと多かったのではないかと推察します。

 

 彼らの家はやっぱりだいたい貧乏だったとと思います。

 これは印象でしかないので、もしかしたら十分金持ちだけど趣味でやっていたんだよ~ん、というやつもいないとは限らないけど。

 

 いずれにしても「新聞少年」の姿は、昭和40年代ではまだ当たり前に見られ、けっして特別なことではなかったし、学校もそれに対してとやかく言うことはありませんでした。

 むしろ、そうやって頑張ってる友達をみんな応援しよう、という空気でした。

 

 僕はというと、そうした彼らを割と尊敬していました。

 働かず、カネも稼がず、親に甘えてノホホンと学校に通わせてもらっている自分に比べてなんて偉い奴らだろうと、ちょっと引け目を感じていたくらいです。

 

 で、また、覚えている限り、新聞少年たちはみんな、だいたい気のいい連中で、いやなやつはひとりもいませんでした。

 特別な親友というのはいなかったけど、けっこう仲の良かった友だちは何人かいて、今でも彼らの顔ははっきりと思い出せます。

 

●新聞少年の孤独

 

 ただ、彼らは友だちがいてもどこか孤独な感じが漂っていました。

 ほかの子供とはちょっと違う、少しおとなびた雰囲気が共通してあったのです。

 それは僕が「こいつは自分やほかの連中とちがって自立している」という目で見ていたせいかも知れません。

 

 しかし今にして思えば、やはり彼らは家庭にいろいろ問題を抱えていて、働かざるを得ない事情があったのでしょう。

 子供って割と小さい頃から、そうしたことを知られるのには敏感で、秘密にしたりしちゃいます。

 それが自立したムード、孤独な雰囲気として自然と表現されていたのだと思います。

 

●「貧しくとも子供働くべからず」の時代へ

 

 そんな昭和の元気と希望とちょっぴり哀愁の入り混じった「新聞少年」ですが、どうやら平成の現代日本では絶滅してしまったようです。

 

 というのは基本、小中学生を労働させるということが禁止されてしまったからです。

 もちろん、家の仕事を手伝ったり、知り合いの仕事を非公式な形で手伝ってお小遣いをもらう、というのはOKらしい(厳密にはダメなのかも知れませんが、まぁ、そこまでチェックはしないので)のですが、いわゆる表立って「雇用」という形ではNGとのこと。

 

 もちろん昭和40年代と社会環境は大きく変わりました。

 豊かになったんだから子供が働く必要ないでしょ。

 また、学校で勉強すべき子供を働かせちゃダメでしょ。

 そんなの先進国家として恥ずかしいじゃないか・・・

 

 という、社会の上層部の方の意見が反映されて、新聞販売店も子供を働き手と使えなくなりました。

 でも、そんなこと言っても現実には貧困家庭は昔と変わらずあるわけで、ちゃんとした仕事で働いて、お金を稼ぎたい、家計を助けたいと考える子は少なからずいると思うのです。

 ちょっとネットで調べたら「うちはシングルマザーなので新聞配達をやって家計を助けたんです」という子供の投稿が載っていました。

 本物の子供が本心でそういう記事を載せたのかどうかはギモンですが・・・。

 

 じつは新聞配達、新聞少年をテーマにしたお話のアイデアが浮かんで、これから膨らまそうという魂胆。

 昔のものでも現在のものでも、もし新聞配達、新聞少年に関する興味深い情報があれば、ぜひお寄せください。

 というわけで、この続きはまた明日(か次回)に。