カルテット:おとなとこども、あるいはアリとキリギリスのハイブリッドライフスタイルと友だち家族の未来

 

 TBSのドラマ「カルテット」は音楽、ミステリー、コメディの要素がとても上手にブレンドされ、丁寧に作られた、楽しいドラマでした。

 何よりも主役の「カルテット・ドーナツホール」の4人がチャーミング。

 

 そのチャーミングさは、仕事がなかったり、家族を失っていたり、アイデンティティがボロボロになっていたり・・・と、いろいろ複雑なおとなの事情を抱えながら、大好きな音楽を捨てない(捨てられない)子供であり続けているところからきていると思います。

 

●子供を卒業しない大人/アリにならないキリギリス

 

 芸術を志す若者たちが互いの夢を温め合いながら共同生活を送る、というドラマは昔からありました。

 その結末はだいたい夢破れて皆ちりぢりになっていくか、ひとりが成功してバランスが崩れて終わる、といったパターンがほとんど。

 つまり青春時代から卒業し、キリギリスからアリに変っていくというのが、一時代前までの、まっとうなドラマでした、

 

 ところがこの4人は「おとなこども」から卒業しようとしない。

 21日の最終話は、とんでもなくいびつな手段を使って、大ホールでコンサートを開く夢を実現させるのですが、それを経て、この4人は「友だち家族」のようにつながるのです。

 

 ドラマの中で控えめに描かれた恋愛も曖昧なまま、音楽を仕事にするのか、趣味にするのか、という人生の命題も曖昧なままでのエンディング。

 

 なんだかゆるゆるした、一種のメルヘンともファンタジーとも取れる終わり方ですが、「おとなこども」を卒業しない生き方、キリギリスをどこまでも続けていこうという生き方は、新しいライフスタイルと言えるのかも知れません。

 

●アリとしての幸せに確信が持てるか

 

 現代はおとなと子供の境界線があいまいになりました。

 20歳前後まで子供として教育を受け、社会人として仕事をし(つまり大人になり)、結婚し、子育てをして、60代で退職・引退し、人生の総括をするというライフスタイルは、もちろん、いまだ主流ではあるけれど、以前ほど厳然としたものでも、誰にも口答えさせないほど説得力のあるものでもなくなっています。

 

 特別な才能がない限り、生きていくためには、キリギリスなど早くやめてアリとなって働くべきという鉄板常識の人生観は、かつてはアリで十分幸せになれるという言葉を信じられたからこそ成り立っていました。

 けれども今は、その確信が揺らいでいるのではないでしょうか。

 アリとしてずっと働き続け、人生を全うする――それで幸せなのか?

 本当に好きなこと、やりたいことを我慢してアリになることにどんな意味があるのか?

 多くの人はそう感じているのではないかと思います。

 

 豊かな時代は、いくつになってもモラトリアムであり続けられる。

 それは非常に困ったことだと言われてきましたが、むしろかつての鉄板常識のおとなよりも、子供の部分をたくさん残している「おとなこども」のほうが、これから先も立て続けに起こるであろう社会環境の変化に対応しやすいのではないだろうか。

 

 みんな無意識の領域でそう思っているから、子供っぽいおとな――もうちょっと良く言えば、エイジレスが増えているのではないだろうか。

 

●これからのライフスタイルはハイブリッド、そして友だち家族?

 

 おそらくこれからは、大人と子供、アリとキリギリスのハイブリッドのライフスタイルが大きな流れになっていくのでは・・・と感じるのです。

 そうしたライフスタイルを実践する手立ての一つとして、カルテット・ドーナツホールのような「友だち家族」がある。

 

 現在、仕事に、家庭に恵まれている人でも、あの4人のような生き方、友だち家族のような在り方、音楽への純粋な愛で繋がり合える関係が羨ましいと思う人は結構多いのではないでしょうか。

 

 そして単に純粋なだけでなく、インチキ・ペテンだらけの大人の事情にまみれて葛藤する、彼らの子供の部分に共感を覚える人もまた、大勢いるのではないだろうか、と思うのです。