アムステルダムのナシゴレンとコロッケとチーズとアンネ・フランク

 

●アムステルダム1987

 

 オランダの下院選のニュースを見ていて、アムステルダムへ旅した時のことを思い出しました。もう30年前の話です。

 ロンドンやパリほど華やかではないけれど、運河の街は独特の雰囲気を持っていて、歩いていてとても気持ちよかった。

 

 泊ったのは船を改造したボートハウスのユースホステルでした。

 狭い船内にいろんな国の若者がひしめき合っていて(その頃は僕も若者でした)、面白かった。

 

 食べるものも美味しかった。

 インドネシアを植民地化していた歴史があるせいか、インドネシア料理の店が多く、ナシゴレンなどは絶品でした。

 

 また、街中にコロッケの自動販売機があって、そのコロッケが安くてうまいのです。

 自動販売機というのは、日本では屋内によくある、パンやおにぎりが円柱形のケース内の棚に入っていて、欲しいものを選んでコインを入れると、くるっと回転して指定の棚からポトンと下に落ちてくる形式のやつです。

 

 郊外にあるチーズ工場にもレンタルサイクルで行きました。

 どでかいチーズの塊がずらっと並んでいて壮観でした。

 オランダの国土はほとんど平地なので、国中自転車で回れるという話を聞きました。

 今度ヨーロッパを旅するときは自転車で回りたい、というのが目下の夢です。

 

 一つ失敗したのがトイレ。

 かの国では男用を「HEREN(ヘレン)」というのです。

 ヘレンというから女用だと思って、もう一つの「DAMES(ダムズ)に入ったらそっちが女用でした。

 

●戦争と人種差別の記憶が自由の街を作った

 

 そんなアムスで最も印象的だったのは、やはりアンネ・フランクの隠れ家でした。

 観光客向けに必要以上に消臭されることもなく、当時の面影そのままに戦争の記憶・ナチスの支配の記憶をしっかり抱き込んだ空間。一種異様な空気感が漂っていたのを憶えています。

 

 当時のアムスが持っていた、ロンドンやパリ以上にコスモポリタンな気風、自由を尊び、異質なものを快く受け入れる精神は、は、この1軒の文化遺産――人種差別の暴走という負のドラマの記憶――を核として作られていたのではないかと思うのです。

 

●ヨーロッパのアイデンティティ

 

 そんなオランダでも、今回は惜敗したものの、移民排斥・イスラム排斥を謳う極右政党の勢力が伸びている。

 

 僕は「なんで?」と思う。

 おそらく日本人の多くもそう思っている。

 極右派にあまり良い感情は持たない。

 

 でも同時に、心の底では、ヨーロッパの国はヨーロッパらしくあってほしい、とも思っている。

 もう少し具体的に言えば、白人の、キリスト教徒の国であってほしい。

 アメリカみたいに移民でごった煮の国にならないでほしい。

 アラブ人やアラブ資本の会社はあまり増えてほしくない。

 

 少なくとも僕は、海の向こうから、とても無責任にそう思っている。

 

 日本人もそう思うのだから、当事者であるオランダ人やその他のヨーロッパ人なら、なおさらそう思う人が大勢いて何の不思議もありません。

 

 みんな、揺れ動く世界の中で、歴史や文化を含めたそれぞれのアイデンティティを、いま一度、確かめたがっているのだろうか、取りもどしたがっているのだろうか・・・という気がするのです。

 けっして極右派に共感するわけではないのだけれど。