鎌倉新書の仕事をやっていると、お寺や葬儀社の取材をしたり、ネットなどを通していろいろ情報を仕入れます。
こうした葬式に関わるところは、何やら辛気臭いイメージがまとわりついていて、できればあまり関わり合いになりたくない、という人が多いでしょう。でも最近はそんなイメージを脱却すべく、一肌脱いで頑張っている会社やお寺も増えています。
いちばんわかりやすいのは地域のコミュニティづくりへの貢献です。
「お寺の集会場で地域の子供会のクリスマスパーティー」といった、ツッコミどころだらけの、笑える日本的カオス宗教企画が、僕たちの子供の頃には多々ありました。
それが最近、あちこちで復活しているのです。
たとえば、お寺の施設を利用したカフェ、ヨガ、書道、珠算などの教室、説法会、保育所、コンサート、演劇など、さまざまなイベント。
また、地域密着を謳う一部の葬儀社なども持ち前の能力を活かして、商店街や町会などと提携したイベントを行っています。
これらはもちろん、ボランティアか、それに近い貢献事業で、志ある住職や社長が真剣に(でも楽しんで)取り組んでいます。
商店街から人影が消え、町会や自治会にも人が集まらなくなり、子供や若者が少なくなって、深刻な地域崩壊の危機に直面しているところは、どんどんどん増えています。
こうした問題に取り組む際、学校や行政の公的機関だけに頼ってしまうのには抵抗があります。
みずから自由を放棄して、お上の指示を仰ぐような形になってしまうからです。
そういう時に、お寺や協会などの、日常生活に溶け込んだ宗教施設の存在感や、気軽に相談できる、イベント・セレモニーのプロフェッショナルが頼れる助っ人として浮かんできます。
言い方を変えれば、お寺や葬儀社は潜在的な文化力・情報発信力を持っており、その気になればとても活用できる部分、(お寺や葬儀社の立場からは)役立てる部分が大きい。
逆にいえば、お寺や葬儀社は、人々の寺離れ・葬儀離れを嘆く前に、自分たちの社会的役割を改めて考え、自分たちのできること、役に立つことを明確にして、なるべく自然な形でそれをアピールする方法を模索していくべきではないかと思います。
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