結婚式・葬式:セレモニーはドラマであり、人生のストーリーを形にするツール

 

●お葬式をあげるかどうか

 

 仕事でお葬式を取材したり、お葬式に関する話を聞くことが多くなりました。

 最近は家族やごく親しい身内だけ、人数も1ケタからせいぜい20人以内でひっそりと故人を送る「家族葬」、また、斎場などを使わず、昔ながらにあえて自宅でお葬式をする「自宅葬」が増加傾向です。

 

 これとともに「葬式なんて要らない」という考えで、亡くなったらそのまま火葬場へ直行する「直葬」も急激に増えています。

 

 「死んだら終わりや。葬式なんぞに金をかける必要なんてあらへん」

 

 もちろん経済的事情は大きいと思います。

 

 それと同程度に個人主義が巷に浸透し、そんなに人に気を遣わなくていい、世間体を重んじる必要はない・・・という考え方の人が増えたことも要因でしょう。

 お葬式が形骸化し、虚飾的と捉えられることも少なくありません。

 

●結婚式は増えている

 

 これに対して、結婚式の方は増加傾向です。

 「結婚式をやりたい」という考え方のカップルが増えている。

 昔のように、ゴージャスに、お金をかけて・・というわけではありませんが、一時期、ジミ婚が増えて、結婚式なんかやらないのがトレンド、という感じになった時期と比べれば、だいぶ変わっています。

 

 ただし昔と違うのは、それが家とか親のためでなく、自分たちのために、になっていることです。

 

●セレモニーの効能

 

 結婚式はセレモニー。セレモニーはドラマであり、ストーリーです。

 心の中で思っているだけでは形として実を結ばない。

 いくら素晴らしい脚本を書いたとしても、実際にそれが上演されなくては意味がないのです。

 

 わたしの人生のストーリーを描きたい。ちゃんとそれを形にして体験し、残したい。

 

 若いカップル(中には熟年カップルも)にはそう考える人たち(特に女性)が僕たちの世代より増えているもでしょう。

 

●自分の結婚式の話

 

 かれこれ22年前のことですが、恥ずかしながら、僕は結婚式(正確には披露宴)を2回やりました。

 1回目は東京で洋館を借りてハウスウェディング。

 これはもちろん自分で費用を出して、脚本・演出も自前でやりました。

 

 2回目は名古屋のホテルで。

 親に、ぜひ実家の方でやってくれと言われ、費用も親が出しました。

 これにはちょっと抵抗しましたが、断り切れず、これも親孝行かなと思って、なかばしぶしぶやりました。

 

 しかし22年後、父が亡くなり、母が老い、その時出席したおじやおば、父の友人らも大半がこの世を去った今、ふり返って考えると、自分たちのためにも、家族や友人のためにも、やってよかったなぁと思えてくるのです。

 

 なんというか、その時にいろいろな人との関係性を再確認できたという感じ。たぶん、あの時会わなければ、その後もずっと一生会わなかっただろうなという人たちも結構います。

 

 人生にはストーリーが必要です。

 それを形にするのに、セレモニーを行うのは安易な手段かも知れないけれど、可能であればやっぱりそういう機会はあった方がいいと思うのです。

 

●本当に必要ないと自分軸で考えているのか?

 

 「家族に負担をかけるし、葬式なんてやる必要ない」という人も多いですが、お葬式は基本的になく故人のためのものではなく、遺される人たちのためもの。

 

 亡くなって2~3日でバタバタと葬式を出すのは大変なので、その後の、いわゆる「お別れ会」でもいいのですが、何か形にする機会がないと、関係のあった人たちにとっても寂しいし、心残りのではないでしょうか。

 

 そう考えていくと、「葬式はいらん」というのはちょっと傲慢だし、遺される人たちへの思いやりに欠ける気がします。

 

 セレモニーを拒否することについて、それなりの信念を持っているのなら、それはそれで立派です。

 

 しかし、たんにトレンドだからとか、やらないほうがなんとなくカッコいいからとか、あるいは、〇〇さんや△△先生が「あんなもの必要ない」と言っているからとか・・・

 そんな他人軸的な理由でやらないと言っているのなら、考え直してみてはどうでしょうか。

 

 結婚式にしても、家族のお葬式にしても、「やればよかった」と言っている人は割と多いと聞きます。

 

 あとから後悔しないためにも、自分にとって、あるいは周囲の人たちにとって、そのセレモニーに意味があるのかないのか、自分軸で考えよう。