●既成概念を打ち破るキーボードプレイヤー
報道された記事によると、キース・エマーソンは昨年、アメリカ・サンタモニカの自宅でピストル自殺をしたそうです。
動機は病気のせいで指が思うように動かなくなり、自分が理想とする演奏ができないと悩んだ末・・・とありました。
そこで僕は1970年代、ELPにおける若きエマーソンの雄姿を想起します。
ELP時代のエマーソンはロック界最高のキーボードプレイヤーとして知られ、超絶的なテクニックを駆使して、ピアノ、オルガンなどのキーボード群を縦横無尽に弾きまくっていました。
それまでロックバンドにおけるキーボードプレイヤーは、たとえばギターやヴォーカルに比べて、楽器の特質上、ステージ上であまり動かず、したがって自己主張が少ない存在でした。
しかし、エマーソンはその概念を打ち破り、とにかく派手なアクションで大暴れ。ELPはベース、ドラムとのトリオ編成で、他に動き回れるメンバーがいないという事情もあったせいだと思いますが。
●巨大な機械獣と闘う戦士のエマーソン
当時は当然のことながら、You Tubeどころか、ホームビデオもない時代でロックアーティストの動画を見る機会は、ほとんどNHKの番組「ヤングミュージックショー」に限られていました。
中高生時代の僕はそのオンエアがある日時は何よりもそれを優先しました。
ELPのステージを見たのも、その番組でです。
そこではエマーソンがオルガンを揺するわ、蹴とばすわ、あげくの果てにナイフを突き立てて、ギュインギュインとノイズを発生させて、観客は大喝采の大盛り上がりという、いま見ると完全にギャグとしか思えないシーンが展開していました。
そういえば当時のロックバンドは、ステージ上でよくギターをぶっ壊したり火を点けて燃やしたり、ドラムセットをぶっ倒したりと、めちゃくちゃなパフォーマンスをやっていました。
いまでは本当にお笑い沙汰ですが、それを僕たちは「すげええええ」「カッケえええええ」と、思っていたんです。
とんでもなくアホな時代です。だけど面白かったし、みんな興奮して血がたぎっていました。
それはさておき、通常のキーボード群の他、当時の「ムーグ・シンセサイザー」というバカでかいアナログシンセを弾きこなすエマーソンの姿は、まるで迫りくる21世紀の機械文明の脅威――巨大な機械獣に立ち向かう人類代表の戦士に見えたほどです。
●音楽に殉じた尊厳死
2016年3月――70歳を超した彼の中には、その20代の頃の、まるでキーボード群を思う存分、手足のように動かし、ハイテンションで演奏していた頃の自分の残像がくっきりと残っていたのでしょう。
でもけっして過去の栄光・過去の名声を捨てきれず、追い求めていたというわけではない。
彼の中にはいつも自分が理想とする音楽の王国があり、それに命を捧げる覚悟があった。
だから、それが実現できなくなった――ファン・観客の前で理想の、あるいはそれに準ずるパフォーマンスができなくなった時、死を選ばざるをなかったのではないかと思うのです。
おそらくはお金ならいくらでもあるだろうから、生活のために稼ぐ必要はない。ならば生きる意義をどう見い出すのか?
演奏できなくても、曲は作れるのでは? 今後は作曲家オンリーとして生きる道があったのでは・・・とも思います。
が、エマーソンの場合、演奏活動と作曲活動というのは彼の肉体の内部で完全にリンクしており、どっちか片方だけやる、ということはできなかったのではないかと想像します。
からだが動かないと脳も働かない、それまでの特別な才能を発揮することができない、という人はけっこういるのではないでしょうか。
また、音楽の世界から引退して安穏と――たとえば家族や親しい人たちとのんびり余生を過ごす、ということも彼の頭の中にはなかった。
そうしなかったのではなく、そうできなかった。
エマーソンのような天才で、ハイテンションで生きてきた人間にとっては、そんな凡人のような発想は不可能だったし、死ぬより退屈な時間を過ごすくらいなら・・・という結論に達してしまったのでしょう。
だから音楽ができなくなり、自己の存在価値を失ったキース・エマーソンの自殺は、本人にとっては「尊厳死」だったのではないかと思うのです。
もちろん70年生きた人間である以上、プライベートや周囲の人々に対する存在価値、責任、社会的影響もあるので、自殺という行為を単純に肯定することはできません。
けれども、プログレッシヴ・ロックのファンであり、彼らの音楽に育ててもらい、遠いところへ旅させてもらい、世界を開かせてもらった僕としては、願わずにはいられない。
エマーソンの死は尊厳死だった。
彼は誇り高き音楽の王国に殉じたのだ、と。
Mrエマーソン、Mrレイク、Mrウエットン、
素晴らしい楽曲の数々と、いつまでも遺る異次元への旅の記憶をどうもありがとう。
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