村上春樹の初期作品を再読する:「羊をめぐる冒険」

 

 この再読にあたって、最初に読んだのがこの作品でした。

 前回も書きましたが、村上氏は最初の2作の出来に不満を持っていて、今のところ、外国語に訳することは許可していません。

 

 なので海外ではこの「羊をめぐる冒険」が第一作として認知されています。

 

 これは作者自身が、本格的な小説家としてのキャリアの出発点をこの作品としているということです。

 

 そこには「物語作家として生きたい」という深いこだわりがあるのだと思います。

 

 3部作最終巻「羊をめぐる冒険」は、(出だしには少しその名残があるものの)前2作の散文詩系の書き方から一変、ミステリーの要素を含んだ物語スタイルになりました。

 

 「耳のモデル」「いるかホテル」「羊博士」そして「羊男」など、古くからの村上ファンにおなじみの魅力あふれるメタファーがあふれ、村上ワールド全開といった趣です。

 

 こうしたメタファーとしてのキャラクターがいろいろ出てきて、読者に何かを訴えられるのも、物語としての枠組みがしっかり構築されているからです。

 

 

 かつて読んだときは、ずいぶんシュールリアリスティックで入り組んだストーリーだなと思いましたが、その後発表された重層的な構造の作品をいくつも読み慣れているので、わりとシンプルな感じがしました。

 

 物語としての深み・広がりは近年のものにはかないませんが、この作品の持つみずみずしさは何ものにも代えがたい。

 きっとそれは、初めてこの作品と出会った時の20代前半の自分の心象が作品世界に投影されているからでしょう。

 

 読者がそれぞれの心象を投影できる行間があるところが、村上作品のいちばんの特徴なのではないかと思います。

 

 そして、この物語を締めくくる最後の5行――とても簡素な文章で綴られた5行は、村上春樹全作品中、僕にとって最も印象深いラストシーンです。

 その深い余韻は、35年経った今読んでも、なんら色あせていません。

 

 

 僕は川に沿って河口まで歩き、最後に残された五十メートルの砂浜に腰を下ろし、二時間泣いた。そんなに泣いたのは生まれて初めてだった・・・(P405)

 

 “50メートル”“2時間”といった具体的な数字を使った表現が、このファンタジックな物語に不思議なリアリティを与えています。

 

 おとなが(子供もだけど)2時間も泣くことなんて、あり得ないとは言いませんが、人生でそう何度もあることではありません。

 

 2時間という具体的な表現に「ずっと」「長い間」「一晩中」といった抽象的な表現にはない、きっぱりとした重みがある。

 

 そのきっぱりとした重みが、村上作品独特のリアリティになり、たくさんのファンの心をつかんだのだと思います。

もちろん、僕もそのひとりで、村上作品のリアリティが心のどこかに根を張り、時間をかけてじわじわといまだに育て続けている。

 

 そしてこの後、まるで河口で川の水と海の水が入り混じるように、ファンタジーのフィールドとリアリズムのフィールドが相互に通じ合う世界が構築されていくのです。