藤村俊二さんの「献花の会」 おヒョイと逃げても味になる

 

 昨日は鎌倉新書の仕事で、先日亡くなった藤村俊二さんの「献花の会」の取材に行ってきました。

 

 祭壇は白とグリーンに統一され、献花はすべてカスミソウ。

 カスミソウが藤村さんの人生のテーマになっていたようです。

 

 俳優なら目立ちたい精神がないはずはないのですが、自分は真ん中でバラのように目だって咲き誇る存在ではないと悟り、そこを掘り下げたところに、藤村さんの成功の理由があったように思います。

 

 わきで目立たないからこそ却って目立つ、とても軽いのにすごい存在感があるという、あとにも先にもない、突出した個性を身に着け、自分のポジションを守り通しました。

 

 そうした生き方は、若い頃、日劇ダンシングチームのメンバーとして1960年代の欧米を巡った時に、欧米のダンスのレベルの高さに圧倒されて、「おれにはムリだ」と、その道を断念した――という一種の挫折と関係していると思います。

 

 「逃げるな」「あきらめるな」とよく言われますが、一度志したその道を究められる偉大な人など、ほとんどいない。

 また、そんな偉大な人だらけになってしまっては、世の中、息苦しくてしようがない。

 

 要はその逃げ方・あきらめ方の問題。

 はた目には愛称通り、ヒョイヒョイと生きてきたように見える藤村さんだって、どこ立ち位置を置くか、どうすれば自分が輝けるか、その部分ではすごく葛藤し、闘ってきたのだと思う。

 

 「闘う」なんて暑苦しい言葉は、藤村さんに似合わないけどね。

 

 好きなことしたい。でも生活していかなきゃいけない。

 そのはざまでみんな生きて、自分の人生をつくっていきます。

 

 藤村さんの挫折は、当時は逃げとか、あきらめとか言われたかも知れないけど、時が満ちればそれは、かけがえのない「経験」となり、最終的には俳優としての、おいしいスパイスになって、おおぜいの人を楽しませてくれたのだと思います。