●妻の少女時代の話
うちのカミさんは子どもの頃、バレエが習いたかったそうです。
幼稚園生の時に何度もひとりでバレエ教室に通って真剣に見入っていたというから、かなりの💛度であったことが想像されます。
今では小さい子がひとりでふらついていたりしたら、すぐに周りの大人から心配されて、そう長い間放っておいてくれませんが、時は昭和の真っただ中。そういうところはおおらかというか、随分いい加減でした。
だからバレエの先生もある程度までは見過ごしてくれていたのでしょう。
でもさすがに度重なると黙っているわけにもいかなくなり、とうとう「今度からはお母さんと来てね」と言われたそうです。
で、意を決して勝負に出た彼女はお母さんに進言。
が、あっけなくNGをくらって沈没。
要は娘にバレエを習わせるという気風の家庭ではなかったわけです。
バレエやピアノなど習っている子は、おそらく今の1~2割程度だったのではないでしょうか。
しかし、相当しつこく抵抗したようで、ついにその話をお父さんへ。
すると「そうか。そこまで習い事がしたいのなら」という話になって、ついに・・・と、期待で胸がはちきれんばかりに膨らんだところで紹介されたのが、そろばん塾。
まぁ実用的な習い事ならいいだろう、というわけだったのです。
それで彼女は「アン・ドゥ・トロヮ、プリエ、シャッセ」の声の代わりに、
「ねがいましてーは、13円なり、125円なり・・・」の声が響く教室へ。
そろばんの玉を弾きながら「バレエを習っているはずだったのに・・・なんでここでパチパチやっているんだろう?」という思いにとらわれていたとか。
その光景を頭に思い浮かべると、ちょっと切ないけどかなり笑えて、彼女に対する💛度が著しく上ってしまうのです。
●僕のバレエの先生の思い出
というわけでカミさんは結局、バレエは習わずじまいだったのですが、じつは僕の方が習った経験があります。
高校卒業後に入った演劇学校の必修科目にバレエがあったからです。
俳優の肉体トレーニングとしてバレエは非常に有効なのです。
心ならずも「プリエ、シャッセ」の世界を2年間、週3時間ほどやったわけですが、僕はひどい劣等生で思い返せば恥ずかしい限り。
けれどもその講師だった古荘妙子先生の印象は鮮烈です。
きりっと伸びた背筋。
凛とした立ち姿。
なにせナマで、しかも間近でバレエダンサーを見たのは初めてだったので。
最近はダンスの上手な人が飛躍的に増えましたが、それでもやはりクラシックバレエの修練を積んだ人の動き・存在感は段違いです。
フッと腕を上げただけで、ツィと足を上げただけで、周囲の空気を一変させてしまう。
何かを表現するための細胞が自然とその空間にこぼれ出してしまう。
簡単にいえば身体の軸がブレないということなんだけど、それだけじゃない、脳と下半身を結ぶ背骨からあらゆる方向へ自在にイメージを放射できる、脊椎動物の最高進化形という感じです。
そして、その時の古荘先生の年齢が、僕の母と祖母の間くらいと知って、さらにびっくり。
女性に対する概念がぶち壊れるようなカルチャーショックでした。
もうずいぶん前に亡くなられた、と聞いていますが(年齢を考えればしかたありません)、バレエのことを考えると、華やかな舞台ではなく、あの古い板張りの床と、鏡が張り巡らされた教室に凛と立つ、古荘先生の黒いレオタード姿を思い出してしまうのです。
●やっぱりバレエを習いたい
最近はバレエ教室が増え、日本のバレエ人口は、なんと世界一だと聞きます。
もちろん、子供にバレエを習わせる人が増えたからですが、
かつて習っていたけど熾烈な競争からこぼれ落ち、バレエやその他のダンスの道から降りた人、
また、うちのカミさんみたいに、子供の頃、やりたかったのに出来なかったという人、
そうしたおとなの女の人たちが、健康とか美容を理由に、昔より抵抗なく教室へ行けるようになったからでしょう。
子育てなどがひと段落すると、
ああ、人生もうここまで来ちゃったよ、
もしかして、わたしの女としての役割はここまで?と考えちゃったりすると、
身体の奥底から、長らく眠っていたかつての夢がむくむく湧いてくるのかも。
あの時はあそこでやめちゃったけど、もう一度踊りたい。
親に言われて泣く泣く諦めたけど、今からでもやっぱり踊りたい。
夫や息子に「ええっ!?」と驚かれないよう、
表向きの理由は健康のために、美容のために。
もしかしたら説明のために「なぜ私はバレエ教室へ行くのか」というプレゼンまでやらなきゃいけないかも知れないけど、本気でやりたい~。
これもやっぱりちょっと切ない。
そして気を悪くしないでほしいけど、かなり笑える。
でも、笑えるからいい。
面白くて、笑えて、だから応援もしたくなる、
そんなおとなの夢がいっぱいあふれると嬉しいなぁ。
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