余命9ヵ月のピアニスト

 

 ずっとしがみついていたいほど愛しているものがあるのは、幸せなことなのか?

不幸なことなのか?

 

 火曜日(17日)から始まったTBSの連ドラ「カルテット」を観ました。

 脚本が良い。役者が良い。文句なく面白い。

 

 主人公は30代の4人の音楽家たち。でも、音楽では食えていない。

 で、もうみんな30代。どうすればいいのか?

 という同じ悩みを持った4人がたまたま出会ってカルテットを作って演奏活動をしていくが・・・というお話。

 

 日本の社会は20代まではなんでも大目に見てくれるけど、三十路を超えたら急にきびしくなる。もう子どもであることは許されません。

 

 クリスマスまではキラキラ夢見ていていい。どんどん夢見よう。

 けど、その辺過ぎたら、大みそかまでにちゃんと大掃除済ませて、お正月様をお迎えせえよ、それ以降はしきたり守ってちゃんとせなあかんでぇ。

 という感じです。

 

 初回、この4人に絡むのが、イッセー尾形演じるベンジャミン瀧という、「余命9ヵ月」がキャッチフレーズのピアニスト。

 

 ドラマの中で明かされるますが、彼は5年以上前から「余命9ヵ月」で、あちこちのクラブやレストランを回ってピアノを弾いて生活している。

 余命9ヵ月どころか、酒を飲んで陽気になっている様子を見る限り、健康上の問題は何もなさそうです。

 

 つまりこれは彼の営業ツールで真っ赤なウソ。

 早い話がサギ師・ペテン師なわけです。

 

 けれどもそこが泣かせるのです。

 彼はそこまでして音楽で生活したい、音楽の世界にしがみついていたい。

 すでに還暦を過ぎた彼の過去は一切明かされませんが、家族の写真を飾って一人暮らし。いったいどんな人生ドラマがあったのか。

 

 音楽の世界は、神様が放っておかないほどの才能を持った人は別格として、その下では、生きられる・生きられないのボーダーライン上を大勢の音楽家たちがしのぎを削っています。

 

 そのためには音楽の能力以外に、というか、能力以上に、運やらコネやら人間関係やら愛嬌やらハッタリやらが重要になってきます。

 

 明らかに技術も高く、表現も優れているのに食えない人がいる一方で、この程度で・・・と思える人が食えちゃったりもしています。

 これは音楽に限らず、その他の芸術・芸能分野でもいっしょだけど。

 

 だからどんな手を使ってでも、と考える人が出てくるのはごく自然です。

 

 かの佐村河内氏もその一人だったのでしょう。

 彼のしたことはサギだし、障害のある人に対する侮辱なので断罪されて当たり前だと思いますが、ほんのわずかながら、僕は彼に同情していまう。

 そこまでして音楽の世界で生きたかったのだな、と。

 

 余命9ヵ月のピアニスト・ベンジャミン瀧もそうなのです。

 サギをしてでも音楽人生、音楽で生活するということにしがみつく、あるいは、しがみつかざるを得ない。

 そんな彼の生きざまは、本当に滑稽で、哀しくて、苦い。

 けれども、どこかでひどく愛おしさを感じてしまう。

 

 このドラマの主人公たちも、そうです。

 そして、彼の姿を透して自分たちの20年先・30年先の未来を見てしまうのです。

 その滑稽さ。哀しさ。人生の苦さ。

 

 このピアニストの出番はおそらくこの第1回こっきりだと思いますが、単なる1エピソードでなく、この物語を貫く主旋律を奏でているように感じました。

 

 ずっとしがみついていたいほど愛しているものがあるのは、幸せなことなのか?

不幸なことなのか?

 

 きっと、どっちも、ですねぇ。