藤圭子と宇多田ヒカルの歌う力の遺伝子について

 

 家中に歌声があふれている。

 というと楽しそうですが、実際にそういう世界にいると、なんだか変な感じです。

 僕の家の者は毎日しじゅう歌っているのです。

 それも鼻歌程度のボリュームでなく。

 まぁ、近所迷惑にはなっていないようだし、そこそこ気分良く暮らしている、ということだと思うので黙認していますが。

 

 というわけでここ数日、カミさんはテレビで放送された「宇多田ヒカル特集」を録画してヒマがあれば見て歌っています。

 それで僕もその番組を観るのですが、やっぱり宇多田ヒカルはすごい。

 あの「ファーストラブ」を初めて聴いたときの衝撃はいまだに忘れられません。

 

 歌い始めたばかりの少女のような初々しさと・清新さと、もう何十年も歌い込んだような円熟味が同居するような歌声。15歳という年齢が信じられませんでした。

 

 あとから藤圭子の娘だと知って、なるほど。

 彼女の歌にある円熟味は、母親の分が含まれているからなのかなと思いました。

 

 藤圭子も確か18歳くらいでデビュー。

 僕は子供だったので、あの演歌っぽい歌にはとてもついていけませんでしたが、それでも「圭子の夢は夜ひらく」の歌唱は強烈で、一度聴いたらあの声・あの歌世界が耳に貼りついて離れませんでした。

 

 歌唱の中にこもる濃密なエモーション。

 色艶。

 切なさ。

 哀しさ。

 そして可愛らしさ。

 

 この母娘の歌の力の遺伝子はいったいどこから来て、どんな時代を経て、どのように伝承されてきたのだろう?

 ファミリーヒストリーが知りたくなります。

 

 年末の紅白で、宇多田ヒカルは初出場で、トリの一つ前という重要なポジションでしたが、イベント最終章で大盛り上がりの会場のことなど、どこ吹く風。

 ルーティンワークをこなしてます、といった感じで、ロンドンのスタジオで「花束を君に」を歌っていました。

 その様子は宇宙の彼方からメッセージソングを送信する異星のプリンセスのように見えました。